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私のリスクマネジメント

私にとってこの仕事は
今風の言葉で言えば
「リスクマネジメント」の一環です。

50過ぎたら大病しそうだから気を付けて。
なんて聞いてもいないのに言われて
それを避けたいという気持ちが、
今思えばすごくあったんですね。

「細胞からメンテナンス」という言葉と
実際につるつるしていく肌を感じて
こう思いました。

「こんなに外側がキメ整うんだったら
中はもっとピカピカつるつるになっているはずで
だとしたら病気を遠ざけるはず。」

おかげさまで更年期知らずで過ごし
17年たった今も元気で自由に
創造に満ちた仕事を続けられています。

かといって最初は
やっぱりこう思いました。

にしても高い。。。

でもですね。
このままだとずっと変わらないことは明らかでした。

私が働けなくなったら
我が家は翌月からすぐに窮地
それは目に見えてました。

これももう「病気」みたいなものです。
経済的不安。
あ、そうか「大病」ってこれのことだったかもしれません(;^_^A

何か大きな転換がなければ
我が家と私の将来は「ない」も同然

今どう考えるか?
それを決断する時期だったんでしょうね。

やれるだけやってみよう。
やるからにはまじめに取り組もう。

そう思えたのは
この仕事でかかわる大勢のおばさまたちが

潜在意識の話しかしなかったこともあって、

私は私でそれまで「潜在意識」ってどういうものか
勉強してきたもんですから
それを本気で実験してみたかったんです。

当時の私は
なまくらで依存の多いスピ界に嫌気がさしていた。
理屈ばかりで実態が遠く離れてる
精神世界おじさんにもうんざり。

何か実践してみたかった。
本気で私にまつわる世界を動かしたかった

そうでなくちゃ世界の平和も絵空事。
そう考えていたので

大学へ進学してからはあれよあれよと
シンクロに導かれ物事が変化し始め
何をどうつかめばいいのか?
が、ぼんやりと分かってきたころに

アロエが私のもとにやってきて、
金額のこともそうですが
将来の自分についてどう考えているか?

アロエが私を試そうとしたんだなって、
今ではそう思えます。

なので私のこの仕事の
土台は「リスクマネジメント」
行動は「実験」でした。

実験なので自分一人でできるし
だめだったら辞めたらいいわけです。

一生懸命やってダメだったらやめる。
そう決めました。

実のところ私は自分をどうとらえているか?
それを変化させなくては
わたしはこのまま。

ある意味アロエが連れてきた脳内大転換です (笑)

先日この実験を30年以上やっている(としか思えない)
大好きな先輩の話を聞いて
実際に彼女が今得ているものはすごいんだけれど

そっか!
私と同じ!と思って
ストン!と腑に落ちました。

彼女も私も興味があるのは
「実験の結果」

通貨は単なる結果の数値
そう考えると一番ピンときました。

体と心をよく保つために私はこれが必要で
それを安く買うにはどうしたらいいか?
そのためにできることを淡々と考えてきたんですね。

もしこれがそこらに安く売っているものだとして
すごくみんながいい評価を与えて
飛ぶように売れているものだとしたら
まず供給量が追い付かない。。。
そして飽きっぽい私に続くわけがない。
つまり結果は何一つ得られていなかったはずなのです。

安く飲みたい!と
考えた私がいなければ
今の私はいないわけです。

う~ん
素晴らしい勇者だ(笑)

とはいえ、
ちゃんと知れば
リスクがないことはすぐわかります。

それはなぜか?を知ろうとしたことが
勇者たるゆえんだったわけですが。

いつでも勉強させてもらった体と潜在意識のことを
私もしっかりと伝えたいと思うし。

それには「聞く耳」を柔軟にしてもらうことだなって
そう考えています。

コンパスを持つ手が柔軟だと、
わくわく楽しんで思うままに円をかける
固いとそれは得られないわけで、

耳もそうなんだなぁ。
おんなじなんだなぁと、

そんな風に今思いました。

どうなったら「聞く耳」が柔軟になるか?
これに今興味津々

あ!タイトルがリスクマネジメントだった!

ま、いいか。





パラレルワーク

「パラレルワーク」
平行した仕事。
今朝、朝刊で見て、
素敵な言葉だなぁと思いました。

ダブルインカムなんて優雅な時代も
わずかながらあったけど、

夫が会社を辞めてからは
長くワーキングシェア状態(笑)でしたしね。

今は二つの仕事をしている私は
どちらかが副業という事ではなく

独立した仕事を二つ手がけている。
と思っていましたので、
この言葉はとてもぴったりときました。

いつの時代も
自分が変わると
世界も変わっていくものだと思います。

40歳になったころ私は
働き方を自分で選べるようにしたいと
漠然と思っていました。

直感が与えてくれたから、
フォーエバーの仕事に
偏見を外して
真正面から
取り組んでみようと思いましたし、

サンフランシスコに住む
フォーエバーのお仲間のお嬢さんが描いていた
点描曼荼羅に感銘を受けて、

どうやったらこれが描けるんだろう?
と、これも直感に従ってきました。

二つの仕事は成功しない、
集中すべきと、
当時から好きだった
ビジネスメンターたちが言っても、

私が直感で選んで
真剣に取り組んできたものであるなら、

「できるはず」
そう思ってきました。

不安や計算なんて
何の役にも立たないのです。

私の世界ではいつも
「私」が時代を変えるのです。

「アリにならなければ人生の冬にノタレジヌ」
という社会で育って、

いつも「アリになれない自分」を
不安に思って、
情けなく感じて

その反動で一層キリギリス化していった私(笑)

最終的にキリギリスはアリにはなれないと
10年くらい前に
ようやっと理解して

キリギリスを全うしようと、
そう思って動き出したとたんに

キリギリスは
「夏の間一生懸命働いたアリたちのために、
冬、音楽を奏で、アリの仕事を労うのだ」と、

雪のカマクラの中
暖かそうな灯りの元に
アリやキリギリスが集っている。

そんな絵本をWEB上に見つけました。

センセーショナルでした。(笑)

やっぱり、私が(私の属する)この世界を変えているのだわ。

こうして、

条件付けは強化されていくのでした💗

朝刊記事とは違いますが
「パラレルワーク」とはこういう状態。
http://freeconsultant.jp/column/c010

ここにある
落とし穴の件。
パラレルワークではなくても
同じ落とし穴があるんです。
しっかりとカバーできてるのは
今まで学んできた
非常に精神性の高い
ビジネスメンターたちのおかげ💗

聞くところは聞く
使える所は使う。

そのうえで自分の考えを導き出す。
それに責任を持つ。

いつも選ぶのは自分。


車の運転はビビりですが、
人生には勇敢なんです、私(笑)

ホワイトゴールドパウダー2

さて、昨日の続きなのですが、

調べれば調べるほど、深く広大な旅に出てしまって
出エジプト記まで行って円錐形シェブラブ形状までたどり着いた挙句
なんと念願の「移住したい土地」まで決定してしまいました。

武田鉄矢恐るべし!です(;^_^A
*理由はこの後


結局オームスってなに?と思っていた私に
めぐ先生はこう説明してくれました。

加える変化で
・金に白金にもなる物質
・確かにあるのに質量がなくなってしまう物質
・ともかく不思議な動きをして身体や心に影響を大きく与えている物質

私がそこでお話ししていて閃いたのは、
この世界の潜在的な不思議能力の源
錬金術のような物質の創造はこれら(ソマチッドも含め)が作っているのではないか?

これも私の中の大きな宿題案件だったので。

ストン!どころではなく

ドスン!!!!と、脳内に転がり落ちる音が聞こえたくらいの大ごとでした。

昨日の説明文の一部を持ってきましょう。

「その状態になると、非常に強い力をもちます。何が起こるかというと、
これは現時点では仮説ですが、時空を曲げるのです。

そして、それは真空から、つまりゼロからエネルギーを引き出します。

したがって、これらの粒子は真空から、
つまり”ゼロ”から、
つまり何も無いところからエネルギーを引き出すことを可能にする
非常に高い可能性をもっているのです。」

高濃度で摂取すると、
物事や望みを現実化させる速度を上げる、
明晰夢、健康とエネルギーの増加、
意識の向上、人間関係の向上、
良くない人間関係への直感力の向上、

より少ないかつ良質の睡眠、
精神的な覚醒、松果体などの活性化、
左右の脳のバランス、
驚くほど迅速なDNAの修正等の可能性をもつとも言われているORMUS。

何やら古代人が求め続けた「賢者の石」や「ゼロポイントエナジー」等のキーワードとの関係も匂います…。
なんにしたって本来地球上ではあり得ない現象です。



いいんです、なんちゃって科学でもトンデモ科学でも
私は全然気にしません。

私が多分実装していて体験したことからのアプローチしかできませんから


で、それが体にどうなんだ?という話なんですよね?

なんだか情けないんですけど、

この後出てくるソマチッドもこのオームスも
もう10年も前からアロエの勉強会で知ってるんですよ。

でも、当時は調べてもほとんど何もそれ以上の詳細はわからなかった。

今になってこんなに花が咲くように情報があるってことが、
うれしいやら、
うらめしいやら。

私にはこのタイミングだったのでしょうかね。

「げぇぇぇぇ!そうだったのか!(;゜0゜)」のオンパレード。

もちろん怪しいことがたくさんでそれを実証できないではないか、
という記事の方がwikiでは圧倒的なんです。

けれどもそれを知らないでいた私にとって
私や私の周りの変化というのは
そこに書かれていることと一致していたのです。

何かしら秘密めいた宇宙的なもの=アロエ
というプラセボというならそれもOKです。
プラセボも明らかな「効果」ですからね。

それが一日300mlのアロエ摂取で
私の前にずらずらと並び始めたとしか思えません。

オームスに並んで
ソマチッドというこれもアロエにたくさん含まれているという
不思議ちゃん物質がありますが

それについて武田鉄矢氏がわかりやすく解説してくれているので
これをぜひ聞いてみて下さいませ。

さらにみなさんきっと
「おおおおおおお!」と思う事でしょう。

すっごい面白かったです。
少し書き抜いてみましょう。

・ウパニシャッド 血液の中に神=ソマチッド

・ソマチッドは岩の中にカプセルで眠ってる 植物の中で目覚め 動物の中で動き回る 人間の中でものを考えるようになる微小生命体(すべての存在の中にある)アメーバのように動く、

・ソマチッド水の中で生きている
多い場所⇒ピレネー山脈
最も多いところ ルルドの泉

・ソマチッドはメビウス曲線の水の中で目を覚ます

・水は蛇行を求めている(8の字)直線になると水が痩せる




で、めぐ先生の本はこちら
漢方の立場からアロエの働きについて書かれています。


ホワイトゴールドパウダー1

オームス ( ORMUS )ともいわれる
ホワイトゴールドパウダーを

実はここ最近大量(?)に摂っています^^

実はダイエットのためなんですけど、

気が付いたら毎日が
面白かったり、不思議だったりの
オンパレードです。

考えていることの答えはテレビが教えてくれたり
迷っていることは角を曲がるとサポートがあったり
昼間テレビで見たものが夜には手元に来たりしますし

アロエも曼荼羅も
いつもそれらを目の前で「創造」してくれたけど

変だ!頻繁すぎる!

そう思っていました。

私の知覚の精度が上がったってこと?
本当はいつもそうだったのに
今までそうは思ってなかっただけなのかな?

それともやっぱり
ダイエットのためと称してがぶがぶ飲んでいるアロエの仕業?

そう思っているところに
やってきた。

ホワイトゴールドパウダーの話。

知ってはいたけど、気にしていなくて

というか4つ目の椅子の足が異次元へ行っている話のイメージがわかなくて(;^_^A


以下はとある健康雑誌から
いいですか?すごく怪しいですよ💦(笑)

言わずと知れたアロエの効能としては、
あらゆるお肌のトラブル対策、老化防止、
そして健胃、整腸、抗炎症、抗菌、
細胞の活性化…とありますが、
私が今とても気になるアロエの成分に〝オームス”があります。

最近読んだ記事によると、
アロエは、ORMUS(オームス)をたくさん含むそう。

ORMUS(またはORMEs:オービタリー・リアレンジド・モナトミック・エレメント)は
特別な性質を有する、量子力学でいう〝ハイスピン”単原子状態となった金属原子(主に金、銀など)のことで、
不思議な力が宿っているようです。

白い極微細なパウダー状態となるため、ホワイト・ゴールド・パウダーとも呼ばれています。

ORMUSに関する長年の研究者であるバリー・カーター氏によると
”通常の鉱物を4足の椅子に例えると、
ORMUSは3つの足を床に着け、残りのもう一つの足を異次元に突っ込んでいるようなもの”だそうです。

デビッド・ウルフ曰く、

「その状態になると、非常に強い力をもちます。何が起こるかというと、
これは現時点では仮説ですが、時空を曲げるのです。

そして、それは真空から、つまりゼロからエネルギーを引き出します。

したがって、これらの粒子は真空から、
つまり”ゼロ”から、
つまり何も無いところからエネルギーを引き出すことを可能にする
非常に高い可能性をもっているのです。」

高濃度で摂取すると、
物事や望みを現実化させる速度を上げる、
明晰夢、健康とエネルギーの増加、
意識の向上、人間関係の向上、
良くない人間関係への直感力の向上、

より少ないかつ良質の睡眠、
精神的な覚醒、松果体などの活性化、
左右の脳のバランス、
驚くほど迅速なDNAの修正等の可能性をもつとも言われているORMUS。

何やら古代人が求め続けた「賢者の石」や「ゼロポイントエナジー」等のキーワードとの関係も匂います…。

veggy. vol.44. より抜粋



先ほども書いた通り、

私は4本目の足を異空間に突っ込む。
のところがどうしてもわからなかったわけです。

そうしたらちゃんとまた答えをもらいました。

漢方を専門とする薬剤師の
長谷川恵先生の薬膳料理教室で!

めぐ先生はこういいます。

とにかく不思議な物質なのよ。


あ、長くなりそうなので

続きはまた明日にしましょう。

ともかく、なんだか異次元にいるように感じる毎日

確かなことは

自分が元気すぎて気持ち悪い(爆)

疲れてどうしようもない人がいれば。

売ってあげたいくらい(ただで差し上げる気はないらしい)

それくらい元気が余ってるんですよね。

どうしましょう(;^_^A。

自分が自分を遠ざける

ああ、また、スポンサーサイトが入ってしまっていました。

今日はようやく「どちらでもいい日」

つまり、仕事が溜まってはいない日。*今のところ。



今年に入ってからいろんなものがいろんな動きを始めていますね。

毎日「ほ~そうきましたか!」とつぶやいているわたしです。


私はこの一週間でようやく
心と体と宇宙の波がシンクロ(同調)を取り戻した様子。

何をしていても気持ちがいいったらありゃしない。

取り戻した理由は
さぼり気味というより、
全くさぼりまくっていたあるものを
ちゃんと一週間続けて摂るようにしただけなんです。

この15年間こんなことをもう何度も繰り返してますから

定位置に戻るためにあれらが必要。
わかってるのにねぇ。 ←わかってない

あれさえちゃんと毎日飲めたら私は自分の体を取り戻せる
そうわかってるのに。←わかってない

なぜか、さぼるさぼる。

いろんな理由がぶら下がっていたとはいえ、
それらを引き寄せてすら、
私をこのシンクロ(同調)状態から遠ざけておいた方が楽な私っていうのは何が目的なんだろうか?

それを考えていたのです。

ようやく正常なシンクロを取り戻した今だからこそわかったのだと思うのですが

今トイレから出てきたトタンにその理由が閃きました

「これ以上大繁盛になりたくない」
 ↑↑↑
私は腹の底のこれを実現させているのだと。



自分(頭)が自分(腹の中)を厄介者扱いして
この件に関しては川を逆流してすすんでいくようなもの。

なので、3歩進んでは4歩下がってしまい。
そのまま流されていくのでした(;^_^A


なので「それとこれとは別。」
という指令をちゃんと叩き込んであげなくてはいけません。

それがわかったことでいろいろと理解が追いついたことがありましたが、
それらを書くともう収拾が付かないので、ひとつだけ。


私が一昨年夏から10キロ以上(それ以上は怖くて計ってない)太ったのは
いろんな理由をひとまとめにしてゴム状に練り込んだ上の原因は

「こんなところまで来ないとわからないことがあったから。」

でした。

それがわかったので、もう大丈夫!・・・とおもうんだけど(;^_^A

色々と謎の多い文章でごめんなさい。

たまにはね。

そういう自分も出してあげなくちゃね(^_-)-☆

探してた3つが同時に現れたので思わずうひひと思った話し

面白い!

数日前から正確な話と作者を調べたいと思っていたのに、
たどり着かなかった文章が3つありました。

今、仏間掃除して古い資料など整理してたら「一つ」
受け取ったまま開封していなかった雑誌を開けたら「二つ」

揃っちゃいました。

すごいね(^_-)-☆
幸せ💗

それで、おすそわけです。


一つ目

「人間各自、その心の底には一個の天真を宿している」

森信三『修身教授録』

ずっとそう思っています。
だから、「やっぱり苦手」と思う人でも
それはそれだというだけで、
人は憎めないです。

この言葉に触れたのは大阪池田小の事件があった時の事
あの犯人にもそれがあるのか、すごく考えました。

似た言葉に
「ヒットラーは天国へ行ったんだよ」(『神との対話』)
というものがあって、

それとも照らしあわせて、
何年もかけて私は答えを出してきました。

だから、

たとえ憎まれたとしても
それが深いところでその人の応援になるなら
正直に発言します。

それも私の天真です。


二つ目

旅人の話。

ご存知の方も多い逸話です。

でも、知っているだけではだめです。
これは自分の生活の中で、人生の中で、
ちゃんと使わなければならない逸話なのです。


ある町がありました。
一人の旅人がその町にやってきました。
待ちの入り口の紋のところに一人の老人が座っていました。

旅人は聞きます。
「おじいさん、この町はどんな町?」

おじいさんは聞きます。
「あなたが今までいた町はどんな町でしたか?」

旅人は答えました。
「いやぁ、前にいた町は嫌な人ばかりでろくな町じゃなかったよ」

おじいさんは答えます。
「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じですよ」

また別の日にべつの旅人がきました。

その旅人もおじいさんに聞きます。
「おじいさん、この町はいったいどんな町ですか?」

おじいさんは聞きます。
「あなたが今までいた町はどんな町でしたか?」

旅人は答えます
「私が今までいた町は素晴らしい町で、人々は親切で、あんなによい町はありませんでした」

おじいさんは答えます。
「そうですか、この町もあなたが前にいた町と同じですよ」


言いたいことは何かというと
「環境というものはその人の心が決める」ということです。

その人の心が変わらなければ
どこまで行っても環境は変わりません。
これはこの世界の不文律ですよね。

これも似た言葉で私はこう聞いたことがあります。

仕事を辞めるときは、
目移りしたり、嫌になった時ではなく
引き留められるくらいの仕事をして、
その仕事に感謝ができるようになってからにしなさい。
そうでなければ、次の仕事も同じことになるよ。です。


私はこれを忠実に守ってきました。

だから、以前の仕事を辞めるときに、
どうしたらそれができるだろうかと思って
大学へ行くことを選びました。

今も何かが起きるたびに。
人間ですからちょっとは憤りますけど
あ、おまけに愚痴も言いますよ(^_-)-☆

でもやっぱりすぐにこう思います。

これも自分が自分の世界で引き起こしていること
私に起因すること。

そう思えば納得がいきます。
もう腹も立ちません。


届いたまま棚に乗せてあった雑誌を開封して
付録の小さな冊子を読んだら、
探していたこの二つの話が、巻頭と巻末に(笑)


三つ目

先日、宙奏曼荼羅のPさんたちへの投稿で
こういった一行を書きました。

ともあれ、(これはバシャールがよく言う言葉ですが)
「起きることすべてに意味はない」ので、
それぞれにそれぞれの「立ち位置」を魂と同じく
清廉に保っていただけるのであれば何も問題はないことです。

一つ一つに出来事を
微に入り細に入り
あげつらったところで
私にとっては何も意味がないこと。

と言いたかったわけですが。

さて、バシャールは、
本当にこういう意味で使っていたかな?ってのが
私の疑問で確かめたかったわけなのですが

これも今さっき
古い資料を整理してたら
向こうからピンポイントで現れてくれました。

2004年のプリントです。
これを読んだ記憶はなかったのですが、
私はこれをどなたかから頂いたんですね。

こうあります。

出来事にどのような意味付けをするのか?
「人生というものには全く何の意味もない」

初めから備わっている善も悪も意味はなく中立である。
状況、出来事に自動的な意味はない。
空っぽの乗り物である。
信念が空っぽの乗り物に意味を与える。
状況から感情の意味を与える。
出来事を観察しても、
あなたが意味を与えなければ何もなく
つまり意味が感情を与えているだけだ。

ま、大体同じですかね^^←甘め(笑)


ということで。

いろいろな話から
私は私を形成しているわけですが、

そうありたい。と思ってのことで
結局自分が選ぶわけですからね。

それが熟成し、醸され
それが私である。

ということなんでしょうね。


この探していた3つが

同じ時刻にそろって現れたこと。

それもすべて「意味」はありません。

そうあっただけなのでしょう(^_-)-☆

うさと

今日は監査、時間がないのにこれを書こうとする。


お友達がうさとを着てこの世界を旅立った。

私はうさとを着なくなって久しいけれど、そうか、と思う。

着なくなったのは私が「動」をしたいと思って
「静」のうさとと波長が合わなくなった。

というか、動きづらく感じたから。だ。

ただ、大切に取ってある。

身に着けたときのあのじんじんとした波動がなくならないように
洗濯は天然塩だけで静かに洗う。

植物の色。
紡ぐ手。
土地の風。

うさとにはそういうものがある。


以前目にしたブログで、

すぴりちゅあるにかぶれて、
うさとを着てその気になったけど
それは違った。

実際には自分には何も感じなかったし
すぴってのもそういうもの。

と書いていた人がいた。

まるで、自分がかぶれたすぴの象徴のように。
邪魔者扱いだった。

何にかぶれようといいけれど。

それにかぶれたのも
かぶれたじぶんにきづいたそのきづきも。

どちらも違う。

あの布の波動に気が付かなかった浅さなのだと思う。

*わからないことが浅いのではなく
自分がわからないことを自分の範囲で決めてしまう浅さ。


私が着なくなったもう一つの理由に

それを扱っていたお友達が
見えないものと戦って「壊れた」から、というのがある。


でも、神宮の横のあの建物の中で、

彼がつかんだ、麻の前掛けから

ゆらゆらと透明な波が走ったとき。


全てが一つであることを

言葉や頭ではなく

眉間から後頭部で理解した。


それはそれ以上でもなくそれ以下でもない

ただそれだけの出来事。


出雲で神様をお迎えするのだから、
ある程度礼服の意識で。

そう考えるのであればうさとをもっていこうか。

そんなこと思いながら。


すぴも現実も
精神世界も
ビジネスも

どれもそう大した括りはない。

淡々とした日常の中に全て備わっているから。

なんておもうのだ。

好きなように描くんじゃ、普通と同じ。



好きなように描くんじゃ、
普通と同じじゃないの~。

私は魔法をおしえてるのに。


*好きなように描くと自在に描くはちがいます。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*


自分を表現するために?
あら、それじゃ
他の絵でそれをしたほうがいいと思う。

これでそれはできるもんじゃない。


対称をいくつも重ねて
変則が生み出されていく

次のジャンプでどこへ飛ぶかわからない

これは冒険の旅。


私は魔法のレシピを教えているのに。

手元の手近な材料で?

こんな匂いのこんな色で?

あら、
もう、
それ、
まったく

意味がないじゃないの。

だって全てあなたの頭の中にすでにあるものでしょ?

魔法の意味何にもないじゃん。



この魔法はその先に生まれる。

それは形から生まれる。

そらかな

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曼荼羅の描き方を教えているわけじゃない。
いつもそう思う。

あなたに描き上げられながら
曼荼羅はいろんなことを語りかけてくるはずだから。

私にとっても大切なのは、
宙奏を描いているその過程。

作品が放つ輝きとエネルギーは時空間をこえるのだけど。
それは私のの力ではなく、
もともとその曼荼羅が持っているものを外に出してあげたに過ぎない。

私が求めているのは
点を打っているときの自分、

曼荼羅と過ごす時間。

どんなにこんがらかった思考も
点々の振動でゆるゆるとほどけて

ポンと脳裏に飛び込んでくる言葉に
自分の答えが出る。

気持ちも時間も大繁盛で、
あれもこれもできてない
ああ、自分ってイケてない。

そんな時は点々するのはすごく遠回りに思えるかもしれないんだけど
実際はそれが私の一番の早道だとわかっているから
曼荼羅と話す時間を選択する。

作為を持たないからこそ
宙奏はあなたの知らない光を放つ

こうしようああしようと
そんな作為が一番邪魔をする。

だから直感が一番大切
そう伝えるのだけれど。

自由に描けるようになったのに
自分の直感を信じられないから
自分の作品を自分であれこれ評価し、
自分の作品の評価を人に求める

そこから離れなさいって、
曼荼羅はいつも言っているのだけどね。

その声が聞こえなくてはならないよ。

あなたはこの見えている世界だけに括られているわけではないことを
宙奏は教えているから。

十九社(じゅうくしゃ)

日もすっかり短くなって、山に雪との便りが来ました。

私も11月にまた年齢を重ねますが、
その前に一つ大きなイベントがあります。

昨年、猛吹雪のために行くことができなかった
出雲大社へ参詣するのです。

そして、「そのためか!」と思う
大きなお別れが二つ訪れました。

考えてみれば、
聞こえてきていた
「身一つで来い」とのささやき。
あれはこういうことだったんだ。

立て続けに訪れたそれは、
わたしが何を求めていたのか教え
その成就と次のシフトを教えたのでした。

そもそも昨年出雲にたどり着かなかった時

今年じゃない?と考えた私は
翌年(つまり今年)が「9」の年であることに
気が付きました。

「9」は、すべてをいったんたたむ(終わる)年周りであって
物事が一定の成就を迎えることも意味します。

なので、「9」の年に来いとのことかもしれない。
そう考えました。
*同時に違う意味もあったようですが、

enmusubi.jpg

言わずと知れた縁結びの神様が
身一つでと言われるにはわけがあると思っていましたが、

まったく「そうきたか!」という出来事。

そもそもすべては私が決めて選んでいるわけですから。

私の胸の感情が悲しくても
その奥深くが晴れやかなのは納得がいきます。

お互いに
もっと軽く、もっと高く。
そういうことなのでしょう。

出雲大社の本を読んでいて
東西の十九社(じゅうくしゃ)の意味を知りました。

どちらにも19の扉があって
そこから入って神様はお休みになるのですが

神様は八百万(やおろず)
扉の数が足りません。

これはその昔
19という数が無限大を示していたから

なぜかというと
19の「1」は全ての始まりの数字であって
「9」は最後の数字だから
最初と最後の数字を一緒に用いることで、
「無限大」と表現したのだというのです。

細長いこの建物に東西に分かれて
400万ずつ(笑)が、
だから、悠々と入るのですね^^

「9」の成就の年に呼ばれる理由と
「身一つ」の意味が分かって

どんな別れだといえ
わたしはずっと
その魂の成功を祈っていたわけですから

これでいいのだと

9年ぶりの9の年に感謝しかありません。

ネガティブアピール

笑えない
あそこが悪い、ここも悪い
すべてがこんな数値、
そんな時にさらに大病、
家族に大変なこと、
なっきっつらにハチ。

(こんなにがんばっているのよ)

家族にああされたこうされた
伴侶は特に私につらく当たる。
私が悪いのだから仕方がない
いつもじぶんはこうだ

(誰も私をわかってくれない)

ほとんどそんな時しかFBアップしない人

分かりますよ、
そういうときしかネタがないのでしょう

そればかり注視しているから
そういう時しか外に向けた言葉を持てなくて

仕方ないですよね。


さすがに私のお友達関係には少ないですが、

たまに見かけたと思ったらたいていそんな話で

あ~あ、言わなきゃいいのにと思うのは私だけではないはず。

ほとんどの人はそれがどんな効果を自らに課しているかわかっているから。

そう、潜在意識はあなたが慰めを求める場所に書き込むネタをどんどん増幅します。

それの繰り返し。


「じゃぁどうすれば?」

しりませんよ、自分で考えてください。

自分で探して考えて出した答えしか役には立たないから。


ひとつだけ、アドバイスは

苦しくても腹くくって、
「家族に尊重されない人間」であることや
「次から次と状況が悪くなる体のこと」を
アナウンスするのはやめましょう。

花の咲く姿。
風の匂い。
お茶一杯の幸せ。
子供の耳打ち。
美味しい味噌汁。
喉の奥がクスッとする情景

足元からいっぺんにそんな景色が咲くような

あなたの喜びをここで豊かに増幅させてください。

魂は大丈夫

広島

その日は雲一つない快晴の空だったと聞きました。

戦争は自分が生まれるはるか昔のこと、
若いころはそう思っていました。

年を経るたび、
私が生まれたのはそう後のことではないのだと思い

今ではそれが、
私が生まれるたった14年前に起きたことなのだと愕然とするのです。

たった14年前

なのに私は戦争がなかったかのように生きてきました。

先日仕事で広島に行き、
修学旅行で見た原爆ドームを
もう一度見たいと思いました。

私の中でネズミ色だった原爆ドームは
思いのほか白く。

意味の昇華した白骨のように佇んでいました。

明るく
終わったことだと告げるのです。

私の泊まったホテルは
歩いても30分かからないような場所で、
爆心地からそう遠くはありません。

近くには小さな川が流れています。

だとしたら70年前のあの時も、と、思わずにはいられず。
小さく手を合わせました。


私はどちらも選ぶことができます。

苦しく悲しいままに魂がそこにいるのだと認識するなら
そこに苦しみをとどめてしまっているのは私だということになります。

私はすべての魂がその了解のもとに安らぎ
すでに幸福で大丈夫なのだとそう思えるのです。

これは私たちに授けられている選択。
そう思います。

アメノウズメノミコト

1460098014313.jpg

渦。

入れたものは出す。
感じたものは醸す。

思考も食べ物も

入れて出す。

それは繰り返され渦になる。 

渦。

宇宙ではそのサイズが大きすぎるから

私たちはこのサイズで生きて、渦を作っている。

********

学ぶというのはいい姿勢だけれど。
気になる。
吸収しようというのも一見いい姿勢だ。
けれども気になる。

それを誰かに話そう。
提案しよう。
そう思って学ばなければ、
吸収したつもりになるだけで
忘れるからだ。

一言でもいいから人に話すことで
初めて学びは完成される。

だから
学んだことを教えようとして学ばなければ、
学んだ姿勢にはならない。

入れて出す。
渦が円を描き、
それが「円」の完成だから。

小さなことを1つずつ突破する

大きな目標を掲げたら
そこへ行きつくまでの小さなことを
(逆算して)1つずつ突破する。

大きな目標を掲げたら
向かう恐さを分割して
小さな一つ一つの恐さにしてから
それを越えていく。

あれがないから
これがないから
こっちがさきだから
それらは全て逃げ道


綾なす

毎日色々な事を考える
毎日色々なことが現れる

心が躍ったり、ため息が出たり。
座り込んだ地、立ち上がったり。

ふと立ち止まってそのイリュージョンを眺め
しん、と静かであることを悦ぶ

ともあれ、私は
光が映す彩なるイリュージョンを生きている。

「夢」は胡散臭いですか?

1455867585039.jpg Shinoちゃんち13
  ↑↑
「マルハナバチをご存知ですか?」
私の大好きなお話しです。後部に紹介します。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・
NYに行ってまた新しい夢が増えました。
*右の写真はその夢に含まれるシーン♡

考えるとワクワクして仕方のない夢です^^。

叶うか叶わないかは私の問題だし、
オオカミ少年発言だろうとなんだろうといいんです。

しっかり照準の合った私の新たな夢を私が歓迎しているのですから♡

私は今年57になります。
今までの人生で最高値の年齢で、
これからの人生のなかで今が一番若いんですよね。

私の母は39歳で病気で天国に行きました。
その時私は18歳になったばかりでしたし、
私にとって母は生まれた時から母であり
自分より十分に年を取った人でした。

リアルに愕然としたのは
母の死んだ年齢と自分が同じになった時でした。

母はこんなに若くして死んだのか。
家業のある大家族に嫁ぎ、ほとんど好きなこともできず、
4番目に生まれた8歳の弟を残して、悔しかっただろうと思いました。

それだけではないけれど、色々と深く考えるきっかけになりました。

自分の人生を振り返ってみたら
お陰様な事に、それまでもけっこう波乱万丈で
荒波を自分で作ってはその荒波を越えるのに時間をかけている。
そんな自分に、私はほとほと疲れていました。

自分の好きなものを好きなように望んでもいい。
アリとキリギリスのアリが正しいわけではない。
この人生で諦めるもの等一つもない。
そう教えてくれたのは、精神世界の本たちでした。

このまま何もしなかったら私は、
60、70になった時、転げまわって後悔しなくてはならなくなる。

そう考えただけで胃が煮えたように熱くなり
それだけは嫌!!とそればかり考えるようになりました。

それまでだって何もしなかったわけではないけれど
私に無かったのは「ちゃんとした夢」だったのだと思うのです。

この位ならできるだろうという
見えている計算の世界では窮屈で、
そこに本心から望むものはなかったのです。

振り返ってみたことで

「準備が整ったら」
「自信がついたら」なんて言っていたら人生が終わっちゃう!
そう思いました。

準備が整う日など来ないし
自信がつく日も来ないのだという事にハッキリ気がついたのです。

「見切り発車」「先に決める」が(私にとっての)100%の正解を生むことがわかって
心はとても自由になりました。

もしそれがダメでも、それは私だけの責任ですから
その時どうすればいいかを考えたほうがずっと心は自由です。

「夢」を「夢」としてちゃんと人生に据えて初めて
私は自分で自分の未来の舵をとれるようになりました。

そうしたら例のものがやってきたわけです(笑)

40歳で大学へ入り
41歳の誕生日に初めてアロエが我が家に送られてきて
ネットワークビジネスなんて、無理×100!と思ったけれど

夢うつつの世界のスピリチュアルばかりになって行った社会と裏腹に
自分の潜在意識との真向勝負、同調し、高め合う
フォーエバーのこの製品と仕事は精神性が非常に高いものでした。

「夢を見て」「夢を形にすること」
自分の持つ潜在意識と悪戦苦闘しながら、お互いに了解し合い(笑)
そのパフォーマンスを十分に支えてくれたのもアロエジュースでした^^


世間では
「夢」や「気づき」を胡散臭く思うのだと言われたことがあります。

そう思う人にはそうであって

私にとって「夢」は、
地球が青くて美しいというのと同じくらい確かなものであって
いつまでも大切にしなくてはならない宝物です。
「息をする」と同じくらい重要です。

私と言う存在は、
その人にとっては、その人が決める範囲内のものであって
私にとっては「私が決めるもの」なのです。

「夢」も然り^^。

でもどうか
「夢」が胡散臭いものだと信じないでください。

この世界がもたらす人生の豊かさを決めるのはあなたなのですから。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

「マルハナバチをご存知ですか?」

バンブルビーと呼ばれるこの蜂は
大きく丸々としたからだに対し羽がとても小さいのが特徴です。

科学者たちは色々な観点から
なぜこの不格好な蜂が空を飛べるのかその理屈を調べていました。

いろいろな科学的検知から導き出された答えは
「マルハナバチは空を飛ぶことができない」でした。

しかし目の前のマルハナバチは悠々と空中を飛び回っています。

そこで不思議に思った科学者の一人が、こう結論づけました。

「マルハナバチは、自分が本当は空を飛べない事を知らないのだろう」

信じてみませんか?あなたの健康の可能性を。

健康のその先へ。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

シフト4~掌のルチル

さて、図分空いてしまいましたが
その間に大きな災害がありました。

「日常」を愛する私としては、「日常」を(一時)失ってしまった方たちに対して掛ける言葉も見つかりません。
ですので、ご容赦いただこうと思います。

さて掌のルチル

この子です。

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この子を買ったのは横浜駅に近いNadiaと言うお店でした。

私にとって初めてのパワーストーンがこの子です。
計算したらかれこれ18年くらい前でした。

大切に札幌に持って帰り、
うれしくて毎日眺めていたのですが、

ある日掌の上に置いて光に透かして眺めていたところ、
この子が勝手にぶるぶると震えだしました。

声にならない絶叫で^_^;!
なになになに~?!

と叫んでいたのですが、

どのくらいの時間でしょうか、
今覚えているのは一瞬ではなく、かといって長くもなかった。

10秒くらいだったのかもしれません。

何とも表現が出来ない振動で
私の手が震えていたわけでもありません。

振動が終わってもぼ~っとしたままの私に閃いたのは

「同調」
という言葉でした。

この子の波動と私の波動が共鳴して同調した
そんな瞬間だったのでしょう。

それ以降この子は一度も同じことは起こしませんでした。

この世界で証明がつかない事って、やっぱりあるんだなぁ。

そう思った一件でした。








豊かさ

「お金が無い世界になればいいのに」
「お金があるから偏る」

そう思っている人と話をしたことがありました。

悪者は「お金」でしょうか?
違いますよね?

私は人類はお金というものをまだ上手く使った試しの無い未熟なものと捉えています。

まだ一度もお金をうまく使えたことが無い。
それが人類だと。

お金が無い世界を望むのではなく
お金をまがまがしいものと捉えるのではなく
お金と言うアイテムを美しく使い続ける世界を望むべきだと思うのです。

ムヒカ大統領も
皆が清貧であるように、と言っているわけでもありません。
消費を促すことでしか存続できないという流れを修正した方がいいのでは?と言っているのです。

そもそも。お金について未熟である以上、
「清貧」についてはたぶんもっと未熟であろう。と、私は思います。

生き馬の目を抜くような都会での暮らしはもう嫌、
お金に振り回されない人間本来の暮らしをしたいと言って
南の島へ移住した家族を知っていますが、
都会では考えられない土俗の風習と考え方、狭すぎる世間に悩まされ
直すこともできない古い家で身体中を虫に噛まれ
台風になればいつ崩れるか怖くて眠れない
修繕するにもお金がないのです。
自分たちはそれでもいいけれど息子の将来を思えばと
親に孫の大学費用を出してもらい、結局それが挫折でした。

十分に覚悟して決めた事と聞いていましたが
これでは、
どう考えてもお金に振り回されているようにしか見えないのです。

自然は静かなだけではないのですし、
無人島で取れるものだけで暮らす以外、
人は何かを交換しなければなりません、
でも物々交換には限りがあるんです。
なぜか?
食べ物は腐るからです。

もちろん、こういうケースもあれば
しっかり静かに黙々と清貧であるが故の豊かな生活をして行ける人もいると思います。

前者は結局どちらの社会でもこうだったという事だし
後者も結局はどちらの社会でもそうできて初めて適う。と言う事だと思うのです。

私は畑仕事よりやりたいことが人生にあります。
それは自分の魂を発揮させてイキイキとこの生を生きるということです。

なので私にとって豊かさとは自分のしたいことが無理なくできることですし、
清貧とは必要以上のものを欲しがったり持たないようにすることだと思っています。

私がこの世界を去るときに持って行けるものは形の無いもので、
私が感じた「人生の中で味わった豊かな気持ち」だけだと思います。

私は若い時に十分に良く遊び、
従って勉強はあまりせず、
十分な給料と休暇を貰える仕事に就けたわけではないので

そうなると、一馬力でそれも時間給の仕事にしかつけません。
生涯情熱を傾けられるほどの仕事にも若い時は出会いませんでした。

そうなると一日の大半、つまり人生の大半をお金を得るだけの為に使わなくてはならず
それは生き延びることだけを考えても「足りない量」でした。

私は単純に私の人生がそのことだけに使われるのは嫌だったんです。

きっとだからフォーエバー社に出会ったんだなって思います。

今時ネットワークビジネスの会社が「楽して儲かる」だなんて思われているのも心外ですが、
そう思っていた方が楽な方もいるんだと思えば腹も立ちません。

人として未熟であればこの仕事は続きませんし、出来ません。
世界の歩みを見ながら、自分と人類の成熟を目指そうと思わない人には向きませんしね。

私はそこまで考えられる人たちと仕事をしていきたいのです。

私は
その場所その場所に
その人が生まれた理由が含まれているのでは?と、考えています。

静けさも時間もお金で買うようになってしまっている。
私はその世界に生まれてきました。

その中で自分というものを生きていくように
そんな宿題を持ったのだと思います。

理論物理学では
ユニバースと並行してマルチバースと言う考え方が有りますが、

そのどちらだとしても、あるいは両方だとしても、

宇宙がこんなに謎を問いかけるのは
私たちをどこかへ誘っていきたいからだと思うのです。

どんな生活をしてもそれを知っていることが大切。

そう思います。



シフト3~ハンドルを切ったのは誰?

今回一連のタイトルを「シフト」としている理由、

それは。

人は実は何度も死んでいるかもしれない。
その都度、違う層へ「シフト」し、人生が継続しているように思えている

・・・かもしれない。

と、考えているからです。


大昔は
死んだらどうなるんだろうか?
何も無くなるなんて信じられない、
きっと姿の無い思考(霊)だけが残るのでは?
その思考が大気中の何かを利用して形になるとき
幽霊のように目やレンズに映るのだろう。

そう考えていました。

というか。。。その当時は
この世界のものではないものを見たことがあるとか
確かに感じたことがあるので、
そういう理解に及んだ。

と言う事なのですが、

例えば目で見えたこの世界のものではないものや人は
私の眼にはすべて
「てらっと濡れたビニールっぽく」見え、
それが動くときは
「BSが変な時のようにモザイク状に」見える。

いつも見えたり感じたりするわけではないので、
人生の中で5回くらいそう言うのを見たり感じたりした。

と言うだけの事ですし、
テレビのように何度もアプローチが掛るようなものでもなく
あまりにもさりげないので、後から「??え?」とか、が多いのです。

話しがずれそうなので(笑)
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/オイトイテ

前世の記憶が脳にあるとか
雲の上から、お母さんの所へ来ようと思ったの。とか
意識体が戻る場所があってそこからまたやって来る。とか
説明のしやすい状況が起きているんだろうと、考えていました。
*私にもこの世界では説明のしきれない古い記憶があるからです。

でも、そこから色々と変化してきて
つい最近まではこう考えていました。

やっぱり自分にとっては、死の向こうは本来の「無」なのかもしれない
それは、夢を見ない眠りが「無」であることと同じに。
時間もなく、体も無く、よって「無であること」も無い「無」。

まぁ、でも 
私はまだ死を体験したことが無いわけで、
その時にハッキリわかることを
別に今あれこれ追求しなくてもいいや、時間の無駄だな。

と思うと同時に
あちらが「無」だとすると、こちらは「有なのか?」
そもそもがこの世界はそのように相対的に存在するのか?

なんて考えてしまって、
最後はこう思うのです。

あははは。どっちでもいいけどきっと、
私はそんなこと考えたりしたくて今ここに生まれてきたのね~☆ヽ(▽⌒) って、
どっちでもなんでも、結局は構わない。

しかし、近代の電子的ネットワークのすごさで
わたしは画面から「リアルに」人が巻き込まれるようなものを
視られてしまう時代に移行してきていました。

それらを見るほどに、
「見ている自分(第三者)」であることが不思議になってきました。

つまり、一度も自分が当事者ではない事は何故なのか?
を、考えるようになってきたのでした。

いや、自分は大きな事故、災害の当事者である。
そう言う方もいるでしょう。
でも今これを読めていますすよね?
あなたは「生きて」いるし、
これを書いている当事者でもない。

人は自分の人生においてのみ当事者であって、
目に見えているすべてのものに対しては「第三者」であるだけのこと。

それが、
この世界をイリュージョンとして「個人が持ってるもの」と、
考える理由になりました。

だとすると、
イリュージョンの中に死が存在するのも変だな。
何かしっくりこないな。
まぁ、いいか、そのうち何かが答えをくれるだろう。

そう思っていました。(いつもの事なのですが(笑))

ああ、長い。。。^_^;
タイトルの話にこれではたどり着かない(T^T)

どうしようかな~と思いつつ、このまま進んでみます。

で、先月その答えを貰いました。
えっと、お名前を出してもいい話なのかが分からないので
ここでは伏せておきますが、

「地球にはね人類が絶滅するような危機は沢山やってきているし、実際に何度も滅亡しているよ」
「東北の震災もあれによって(連動し)日本はいったんすべてがダメになった、でもその瞬間に一斉に人類はシフトを変えた。」
「この世界はずっと意識体が一斉にシフトを変えていかにも継続しているように感じている」

(゜ロ゜)キャー!!答え貰っちゃった!!

そう私は思ったのです。

で、タイトルの話がようやくできます^_^;


私はこの体験が、いつの事だったか
その時車は何だったろうか?考えてみたのですが分らず。
ただ、神対(を読んだ)以降だとおもうので、16,7年前くらいとしておきます。

その日私は現在の家へ戻るところで
車は36号線を千歳方向へ向かって走っていました。

みぞれ交じりの雪が降り、路面はシャーベット状でした。
シャーベット状というのはその上でタイヤが回るだけになってしまうので
とてもハンドルの効きづらい路面です。

東豊線月寒中央駅のパンやのHOKUOのある、水源地通りとの交差点。
事はそこで起こりました。

歩行者用の信号が点滅しだしたので、少しだけアクセルを踏みました。
*そんな路面で強くアクセル踏むバカはいません。

そこに対向車線から右折を掛けてタクシーが曲がってきたんです。

ええ?と思いながらもそのタクシーが曲がって通り過ぎるながれだったので
少しブレーキを踏みました
*そんな時に強くブレーキを踏むバカもあまりいません。

ところが歩行者用点滅してもう赤になっているにもかかわらず。
渡ろうとした自転車が入ってきてタクシーは通り過ぎるはずだったのに、
私の車の進行方向の先で停まってしまいました。

「!!!!!!」
もちろん言葉もありません。
タクシーの後部座席のお客さんの恐怖でひきつった顔が私の眼の中に飛び込んできました。

もう、全てがコマ送りです。

右にハンドルを切れるか私はバックミラーを見たと思います。
そこまでしか覚えていません。

そのとき、ハンドルがだれかに持たれた。ように感じました。
少なくともそんな風に私はハンドルを切った覚えがありません。

車は綺麗に横に「U」の字を書くように、タクシーをかわしました。

右にずれて右車線に入ったのではなく、
横Uの字で右にかわしてすぐ左車線に戻ったんです。

私の身体は車の中で振り回されました。

「なに?今の何?」

タクシーにぶつからなかったことより、
何故勝手に車のハンドルが切れたのか?
もう頭がパニックで、

その後に今起こったことのショックで全身が震えて、
運転が危険と思い、その先のパチンコ屋さんの辺りで車を停車しました。

落ち着いてから家に帰りましたが、

自分の身体の振り回されようは
自分がハンドルを切ったのでは起こらなかっただろうという事。
シャーベット状の道路であんなに綺麗に横Uの字は切れないという事。
間近に見えた後部座席のお客さんの恐怖の顔。

ともかく、
私は助かっている。
神様がハンドルきってくれたの?
私があなたがいることを信じているから?

そんな風に考えていました。

何が起きたのかはわかりません。

そんなの錯覚だったんじゃない?と言われたら
絶対違うとも言い切りません。

でもそのときに考えた3次元的な
「神様が助けてくれた」と言うことは
もっと高次元の現象だったのではないか?
と、考えだしていたのは近年でした。

そこに、その「シフト」の話がぱきっとハマったのでした。

つまりそこで事故を起こして、
・死んでしまった私の人生の終わり
・死にはしなかったけれど死なせたかもしれない人生
・死にはしなかったけど大きな障がいを残した私

色んな次元があって、

私は見事にかわした方の人生の続きへシフトしたのかもしれない。

と言う事です。

では、考えうる他の次元のわたしは今どうなっているの?と聞かれれば
それはもう私ではないのでわからないとしか言いようがありません。

このような事をこのような解説で書きましたが、

私の人生の中では、
私が思ったり、考え至ったりしたことは逐一、
その後に本の中や他の方の文章の中に
ほらね。と言う状態で見つける仕組みになっているようです。
今まで100%がそうでした。

きっと私が書いたことで、それもやって来るでしょうし、
そう考えていたのでシフトの話しがやってきたのだなって思っています。

ああ、すごく長い話しになってしまいました。
読んでくださった方ありがとうございます。


このハンドルを切ったのは誰的な話を一度書いたことがあるような気がして
ブログ内検索を掛けてみました。
ありました。
そこでも今日の上の話と同じような事をくどくど書いていて^_^;
自分で呆れました。
読みたい方はどうぞ2011年12月のブログです。
http://mayoone.blog96.fc2.com/blog-entry-513.html

シフト2~天使の名前

先週、神戸空港に向かう飛行機に着席し、滑走路へと飛行機が移動する前の事です。

あれ?なかなか動かないな。
なんて思っていると
爆音が聴こえてきました。

ああ、自衛隊機の発着ね。
新千歳空港は航空自衛隊と隣接していて、
いつも爆音の後ろからすごい戦闘機が現れるのです。

で、その時も
全身を包むような爆音の後から、
目線から少し上を平行に飛ぶ戦闘機が見えてきました。

うわわ、さすがにすごい音!と思ってみていると
いきなりそこからほぼ45°の角度で上昇したのです。

目がまんまるになってしまいました。

ええ?そこから45°??
なんなの?すごい!

機内の右側席の人たちからも声が上がっていました。
うわ~~!すごい!
あんなに一気に飛行機って上がるモノなの?

私も、
あの角度って、いったいどんなGがくるの?
っていうか、
戦闘機ってあんなふうに上がることができるんだ。

あっという間に見えなくなった戦闘機、
その後に同じく2機が現れ45度の角度で空まで一直線に上がって行きました。

本当に単純にカッコイイ!と思いました。

それが見えなくなって、私の乗った飛行機はようやくスポットを離れたのですが、

今見た戦闘機の姿に私はこう思いました。

なるほど、人間はあれを作りたかったのね
あれを作るために戦闘が必要なんだ。

そうか、人類は何かをこの世界に創り上げたくて
戦闘と言う事象を必要としていたんだ。

*戦闘にまつわる「命」とう部分については私にはまた別の見解があります。

戦闘の無い世の中ではあれが作れなかったんだろう。
そう思ったのです。

戦闘機の技術を作るために戦闘が必要であったように

私たちは何かを創り上げたりするためにそれに対する色々な事象を
わざわざ作っているのだという事について

ほらね。

と見せられた。ということです。

この世界はそんな風にできていて、

人は想像したものを創造する質を持っています。

人は創造(クリエイト)するために想像(イマジネーション)し、
想像(イマジネーション)をつくるためにあらゆる事象(イベント)を起こすのです。

一昨日の話も今日の話も
それらがイマジネーションでありイベントだったのでしょう。

だから、一昨日と似たような話しなのですが、
今日の話も私には忘れられない出来事となったのです。

ある日の午後、私は売り場に立って、
そろそろ夕方の準備に入らなくちゃな、と思っていました。

エスカレータから降りてくる人々の流れをを見やりながら

私はいつまでこうしているんだろうか?
どうしてここにいるのだろうか?
ここから出ることができるのだろうか?
その時期私はずっと自分を憂いていたのでしょう。

そして、ため息をついて、こう思いました。

「もし私も天使に守られているのだとしたら、貴方の名前を今すぐ教えて」

*これは一昨日の神様の話とまったく連動していなくて
あれがあったからとかこれがあったとかと言うのはありませんでした。
時間的に実はどちらが先だったのかも覚えていません。
これも軽い気持ちでした。

そう思い振り返ったところに一組の母娘のお客様が立っていました。

なにがいい?

う~ん、これは?

それは昨日たべたじゃないの。

ああ、そうだよね~。

何気ない母娘の会話に、
母を早くに亡くした私は
いいな、羨ましいな。そう思っていました。

購入するものが決まり
ありがとうございます。
と、包装するためにその商品まで手を伸ばしたところで
その娘さんの肩にかかっているブティックの大きな袋が目に入りました。

それは見た事の無いロゴのお店の紙袋でした。

どこのブティックだろう?
こんなのあったっけ?
そう思ってなにげなく英語で書かれた大きな黒い文字を先頭から読んでみました。

GA(ガ
B(ブ
RI(リ)
EL(エル)



Gabriel
ガ・・・ガブリエル?!!

(・o・)。。。


神様もガブリエルも今考えてみれば

そうやって姿や名前を教えて私を励ましてくれたとしか思えません。

見えない力を信じることで、わたしは人生を変える勇気を持てました。

そこにいなくていいんだよ。
もうそこでの仕事は終わっているよ。
次の世界へいくんだよ。

そう教えてくれたのです。

それと同時に、
当時苦しかった私の心は
助けを求め本を読みましたが、

その苦しさこそが
今の私になるために
私が生み出したものだった。

そうも言えるのです。

どちらか、ではなく。
両方が。

プロフィール

mayo

Author:mayo
アロエベラと潜在意識

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