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父の誕生日

数年前の話、
旅先で妹二人の会話が耳に入った。

母が作ったミートソースの作り方を再現したって話だった。

2番目が3番目に得意そうに言っていたのは、
私が知っている通りの作り方だった。

「え?知らなかったの?」と思ったと同時に
鼻の奥が痛くなった。

母が死んだとき
二人は中学生だったんだ。

弟は小学2年生で
私は18歳になってから10日目だった。

私は18年間一緒に暮らしたけれど、
妹や弟はまだもののわからない年数を含めて
10年前後しか母を知らない。

小さなときから母が料理を作るのを見るのが好きで
毎晩台所に張り付いてみていた私は

母がほぼ突然にいなくなっても
夕食の支度に困ることはなかった。

弟の運動会だってお稲荷さんが作れた。

多分妹や弟にその件(くだん)のミートソーススパゲティだって作ったはずだ。

なのに、そんな

隠し味にソースを入れたんだね。
なんて話をされたら。

可哀そうで切なかった。


私たちは生きていて
その命を終えるまでに

沢山の人を見送る

一緒に過ごした年数が
たとえ10年だろうと、

それぞれの胸の中で
きっと思い出の質量は同じだと思ってきた。

そう思わなくてはやってられない、

妹たちや弟にそれが
私より少ないと思いたくなかったからだ。

なのに、

父と母の20年間の結婚生活より長く
一緒に暮らした父に対して

長い間の笑いや憤りが、
母以上の質量をもっていて

何かにつけ思い出してしまうこんな思いを

妹たちに多く持たさなかったことを
少しほっとするのだ。

そんな感情を、
感情のままに眺めた昨日は、

父の誕生日だった。
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「アイスマン」

ずいぶん昔に読んだ本、
発売当初だったので18年前なのかな?


当時はその人自体がどんな人生を送っていたのか?
思いをはせる事が多かったのだけれど

その最新の研究がBSでドキュメンタリーになっていて
楽しみに録画して視ました。

そして思ったこと。

5000年前の人間もやっぱり
沢山の病気を抱えていたってこと。

現代の食生活がどうこうという話をよくする私は
これを見ていて反省しきりでした。

やっぱりなぁ。

身体が病むのは心の働きで。
心が病むのは体の働きで。

食べ物が大切
考え方が大切

5000年前も今も変わらない。

そういうことだよなぁって。


人類の歴史上5000年前は
つい最近と言えば、つい最近。

胃の中に残っていたものも、
動物の肉と植物。

そんなに違いがないわけです。

少なくても科学的な添加物はなかったでしょうけど、

年齢は45歳くらいとのことでしたが
遺伝学的な病気が二つ。
膝の関節と腰の炎症から痛みを伴っていたこと。
そして当然かと思うけど回虫。

氷の重みでゆがんでしまった顔
苦しんで死んだのではないという事が
わかって少しほっとしました。

傷む足と腰で、
どうしてこの山の上にいたのか、

今度はそんなことに思いをはせるのでした^^
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また、スポンサー広告が入ってしまった(;^_^A

一カ月以上更新がないとスポンサー広告がてっぺんに入ってしまうのですが、

さて、今年私は何度これを入れてしまったか。。。

そして今年もよく出張&旅をした。

1月名古屋
2月横浜
3月神戸
5月東京
5月NY
6月TDL
7月凾館
7月福岡
8月広島
8月知床
9月大阪
9月凾館
10月山形
11月出雲
11月横浜

フォーエバーの仕事
宙奏曼荼羅の講座
両方だったり

NYも行った。
飛行機10

旅先で入院もした。
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いつもお世話になってるgoogle本社も見た(笑)
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今年一番誇らしいのは、
NYの地下鉄駅で
メトロカードを買ったことかな(笑)

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念願かなって出雲の神迎祭にもいけた。
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楽しい一年でした💗

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ようやく一息、

と、思ったら。

明日から横浜。

もうずっとこんな毎日。

どうしてか?というと、私の仕事は二つあるから。

どちらも大好きな仕事だから
仕事の内容や対人関係などのストレスはないんだけど、
仕事量はやっぱり多いし、

集中できないことでのストレスは
ないといえばうそになる。

よくあるビジネス書には、必ず書かれている
2つの仕事をしないことという不文律に乗っ取れば

私のしていることは、
どちらの効率や成長スピードも落としているのかもしれない。

けど、

ここ3年
ずっと考えてきた。

自分が仕事や人に対してどうありたいか?

そのうえで
自分の人生ってなにか?

それを実現するのに

二つの仕事をかけ持つのは
デメリットの方が大きい。

などとは到底思えない。

心はずっと豊かだと思うから。

二つの仕事を介して
たくさんの素敵な人たち、
愛する人たちと関わっているから。


欲張った結果二つになったわけでもなければ

やめられない事情があって二つになったわけでもない。

私の道筋がそうなっていたからに過ぎないから。
だとしたら私にはそれを超えてゆこう。

そう思えるから。

だから
昼寝をむさぼっても
夜はだらだら過ごしても
やらなきゃならないことを2カ月延ばしても

私は自分を甘やかしているなどと思わない。

それすら無性に幸せだから。


何かに自分をあてはめないと生きていけない自分じゃなくて良かった。

幸せだなぁと思う毎時毎瞬

それに感謝している。
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一番好きなこと

あっという間に11月、

何度もこの編集ページを開いたけれど、閉じて。

「書くこと」をあきらめた。

理由は、

あれもこれも先にやらなくちゃいけない。
これに今時間を割けない。

という、つまらない理由だ。


でも、わたし、やっぱり書くことが好きなんだと思う。


17年前、中野裕弓さんに、

本当に好きなことというのは

・いくらやっても飽きないこと
・お金を払ってでもやりたいこと
・それをしていると時間を忘れること


そういわれた。


家に帰ってから、うんうん唸って探した。

どう考えてもその時、
その3つがすべて当てはまるのは

「何かの資料をまとめてレポートを(きれいにわかりやすく)書くこと」

しかなかった。

書きあがった時の私の満足感は、だれに見せるわけでもないのに

宇宙最高だった。



そして、今も

忙しい仕事を二つしてても、

変わらない。

と、いうか、

「書く」という主たることが

どちらの仕事も私に

出来上がりの宇宙最高の満足感をあたえるから。

もちろん、それは超自己満足。


(そもそも、人間は「自己満足」しか、結局はできない。
だって、絶対他人にはなれないからね。)


今は自分的にはプロジェクトと言えるほどの作業中、

どんどん、アイディアが転がり込んでくるから
どんどん、コンテンツが増えた。

ということだけど、
直感で湧いてくるアイディアに蓋はできないからねぇ


満足のいくものが書けたら。
くるくる踊りたいくらいに幸せ。

出来上がったものの20倍くらいの量から
推敲に推敲を経て

私の満足の上に資料やテキストは出来上がる。


タイムアウトがあるのはとてもいいこと。

だって、

いつまで頑張ったって「最後の最高のもの」ができることは絶対にないから。

その時に締め切りがなかったらどこであきらめがつくのか、

考えただけで恐ろしい(;^_^A


そんなわけで、

いつになったら片付くのかわからない部屋の中で

資料山積みのデスクを抱きかかえるように、

PCに向かっている。


この膨大な資料の中で精査して削り取られ、

紙の上の文章になるのはほんのわずかだ。


これほどわがままな自己満足があるだろうか。

宇宙最強だ。

そんなわけで

17年前に

「それしかない」と思った

本当に好きなことは。

今も変わらなくて、改めて驚いた。


小学校5年生の時

遠藤先生が

「よしのさん(旧姓)は文章が上手ね」と褒めたから

とてもうれしかった。

他に褒められることはあまりなかったから

単純な私は

「そうか!こんな風に書けばいいんだ」とわかって

ここまで来た。と思う。

のべつまくなしに褒められたら、

私は今これを書いていないかもしれない。

あ、いや、わからないぞ。

のべつまくなしに褒められたら、有頂天でもっと違うところも伸びたかもしれない(笑)


ああ、思う存分だらだら書いた💛

さて、資料の続き。

と思うそばから、

10月分の仕分け準備
タイヤの取り換え
運転免許更新
アロエ注文(あれとそれとこれも忘れず)
出雲の準備
横浜の準備
メルマガ
講座対応
メール返信
曼荼羅仕上げ
妹に届けるもの
片付け(国家プロジェクトなみ)
掃除
講座アナウンス
サロンに椅子が入るので家具移動としつらえ
そして大切な睡眠。

が、私の脳裏をいっぺんに襲う。

この中から「大好きなことだけ」をするにはどうしたらいいか?

あ、まずい。
またそんな資料を作りたがってる(笑)

これは「欲」だな、「欲」

でもな、やっぱ好きだからだな。
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我が家のハナモモは美味しい 2

昨年、「来年は見張っていよう。」
と書いたことをすっかり忘れていたハナモモ。

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昨年10月16日のブログ
「我が家のハナモモはおいしい」
http://mayoone.blog96.fc2.com/blog-entry-1137.html

今年もたわわに花をつけ
そのままたわわに実を付けました。

10年くらい前です。
隣家のお父さんが、
山でとってきたというその木は
鉢植えで高さが土から50㎝くらい。

「何とか桃」って言って
花も実もなるんだけれど
鉢植えじゃどうにもならないから
お姉さんもらってくれないかといって
我が家の庭に入りました。

お父さんも私も名前がわからないまま
ちんまりと庭に植えた木は
のんびりと大きくなり、
5年目くらいに花を付けたんです。

濃いピンクの花がちらほらとついて初めて
こんな花がなるんだ!と思ったものです。

そこからは年々と枝をのばすので
枝きりしながらだったのですが
毎年しっかりと花をつけるようになって

昨年はすごい量の花を付けました。

そして、今年もまたこれでもかと実を付けました。

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木が大きくなり
実のならせ方も力がついたのでしょうか?

今年の実はすごくおいしいのです。
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産毛のついた実は桃のように
赤いところはするっと剥けて
青いところは包丁で剥かなくちゃならない。

お皿に盛って食べてもみましたが

小さいので手で割って
マンゴーのように皮をそらせることで
甘くてジューシーなところだけ食べる方がおいしいです^^。

花の時期はハチがすごくて近寄れないくらいだったのですが
こんなに甘い実をならせる力があるのだから当然だわ。
と、思いました。

くれぐれも十分に熟しているものを食べてくださいね。

私は香りがするからと言って
食べてみて渋かったので
「渋いもの」と思い込んでいました。

秋から冬にかけて
こんな実をつけるなんて、
いったいこの子はどこの山から採られてきたんでしょうか?

隣のお父さんは
どうしてこの子を持って帰ろうと思ったのかしら。

そんなことを思いながら

皮をひっくり返して、真ん中だけ食べる贅沢です^^

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イフンケ(子守唄)

facebookでちらっと書こうと思ったら
思わず長くなってしまったのでこちらで。

41歳で大学生のころ、
北大を退官されたF先生の講義を取っていました。
半期で2冊の本を読み、
それについて話をするという講義だったのと、
F先生が緩いので
単位は必ずもらえると聞いたからです(;^_^A

しかし私以外にその講義を取ったのは
遊び盛りの男子2人で、
その子たちはすぐに出席しなくなりました。

当時70歳を超えたF先生と41歳の私は二人きりになったのですが、
話も合い、世界情勢から先生の小さなときの話と、私にとっては楽しい時間でした。

そんな中で忘れられない話があります。

先生のお父様は釧路方面でお医者様だったので、アイヌの人たちのことも気にして診てらしたという話です。

「何度かどうしようもない時に、いろいろな土地から彼らは父のところへやってきていた、
彼らはお金がないからわずかな食料を持ってきたんだな、
父はそれがとても貴重なものだとわかっているから、
お金はいいから持って帰るようにというんだが、
彼らはガンとして聞き入れないんだ。とても誇り高いんだよ。」

「治療をして薬を持たせ、薬がなくなったらまた来るように言うんだけれど、だからと言ってきたことがない。
自分たちの薬を使ってよくなったのか、それとも駄目だったのかもわからない。それを父は気にしていたんだ。」

「ある猛吹雪の夜、病人を乗せたそりを馬に引かせて診てもらいに来たアイヌの男性がいて
どうしてこんな猛吹雪の日に道もないところを来られるのか僕はいくら考えてもわからなかったよ。
灯りもないんだよ。彼らには何か特別なものが見えていたのだろうかと今でも思う。
特別な能力だよあれは。。」

F先生の脳裏にも私の脳裏にもそれぞれに、吹雪にかき消されていく馬とアイヌの人の頼もしい後ろ姿が浮かんでいました。

「先生、私横浜に住んで驚いたことがあります。
すごくアイヌの人が多いんです。
考えたら私が小学生の時中学生の時数人はアイヌの血を引く人がいたけど
大きくなるにつれてみなくなったと思っていました。
なので、ああ、そうか、北海道にいればすぐにわかるけれど関東ではわからないのかもしれないなぁって思いました。」

「やまだ君、そうかい、僕はそういうのは初めて聞いたよ。
つらい話だけれど、僕も、かろうじて君もアイヌの人たちがどんな風に扱われていたかを知っているから、あれだね、
少し楽になったんじゃないか?ってホッとするね」

「で、職場にもいてその人とちょっと仲良く話せたなと思ったときにふと、ご親族は北海道ではないですか?と聞いたら、
きょとん!としてものすごく自然にもともと横浜生まれ、母も父も、といったんですよね。
そんなはずはないと思いましたが、その明るいさまに、ひょっとしたら本当に知らないで過ごしているのでは?と思えました。
それはそれで、だとしたら残念なことではないか?と思ったんです。」

「そうかい、まぁ真実は分からない話だしそれはやまだ君が考えることではないな。
彼らの誇り高さがどこかで必ず理解されると僕は思うから
それまでは仕方がないことだと思うよ」

そんな風に先生はおっしゃったのでした。

先生は私が卒業した年に退官なされ、それから間もなく亡くなったと聞きましたが

私は今でも小さな教室のあの時間のことを懐かしく思い出します。

2001年 911が起きた年の秋でした。

そんなことをふと思い出したのはこの子守歌を知り


この方のお話をよませていただいたからでした。
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1805.pdf
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自然の力と私たちのこと

よくもまぁ、こんなに耕したものだ、と
郊外に出れば私はいつもそのことを思います。

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よくなろう。
よくしよう。
ここに苗や種を植えて金色の麦の穂や青々とした野菜が生ることを夢見なければ
それはなしえなかっただろうと。思うのです。

木を伐り、根を掘る、
広く手入れされた土地を見るたびに
その一本一本の作業に思いを馳せてしまいます。

今回初めて知床まで旅をして
北海道を横に一往復したのですが、

北海道はあきれるくらいに広く
先人たちのした仕事のすごさを
また新たに思い知らされました。

だというのに

台風が3つやってきてあふれた川は濁流となって
湖も決壊し、
水は今ようやく引いたばかりの中を私はいくのでした。

たまねぎはその姿をさらし
トウモロコシは倒れ
根から崩れた木が横たわり

丹精込めた仕事を思うと胸が痛みました。

帰り道、空はまた機嫌を損ね次の台風を呼び込みます。
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網走湖はいまだにあふれんばかりでしたし
細い川も太い川も
ふちを削り広がり蛇行し
折れて流れてきた木がまた流れてきた木で重なり、
行き場所を失った水がどれだけ暴れるのか?

ここにまた台風が来ませんようにと
せめてもう雨は降りませんようにと

そう願うことしかできない帰り道でした。

結局、数か所に集中して豪雨となり
氾濫した川に畑も家も道路も流されました。

自然はいつもこうだった。
今まで何度もこうした思いをしてきたけれど
さすがにこれは。

と絶句する姿に、かける言葉もありません。

こんなひどい目に合うなんて
何をしたというのだ。
なにが悪かったのだ。

きっとそう思っていると思います。

しかし、地球は結局いつもそんなものです。
安定など今までにもなかったのだと思うのです。

私たちは少しの間、ここに住まわせてもらっている存在なのだと。
その謙虚さの中でしか生きられないのだと思います。

食べるものはいずれすべてに影響します。
だから、私たちはそこにまた苗と種を植えるでしょう。
都市部にいれば違う労力を差し出すことになります。

その単純さの中に生きているのだと思うのです。

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「コンスタンスな月収30万まで私が心がけてきたたった一つのこと」

というタイトルでセミナーをやろう!
と、今思いつきましたヽ(^o^)丿

「コンスタンスな月収30万まで私が心がけてきたたった一つのこと」

これまでおねだりされ続けましたが、なかなかしてこなかった私自身の話しをしてみようと思います^^

「まよさんは後いくら収入があったら嬉しい?」
そう聞かれて
「後5万位多かったらとりあえず嬉しいかな?」
私はそう答えました。
フォーエバーに出会った今から15年前の事です。

・本当に好きな事をしよう、そう思ったらやってきたアロエ
・フォーエバーの仕事?そんなのムリムリ、当然そう思ったシステム。
・フォーエバーに取り組まざるを得ない状況に仕組まれていた恐るべきシンクロ(笑)
・スピリチュアルブームから走って逃げた。
・アロエを飲む人はアロエが選ぶ
・流れを信じる力と自分を裏切る考えは交互にやってきた
・生きていくのに必要なのは勉強と勇気。だってあなたは人生で独立するのだから
・チーム力に頼ろう。
・不安定な未来に今だって負けそうなら、この先失われるのは「輝き」と決定。
・人生には保険を掛けてちゃ渡れない梯子がある。

どなたでも参加していただけます。
他のグループの方でも、お友達連れてどうぞ^^
無料です。
大丈夫です。
私はあなたを誘ったりしません(笑)。

日時 7月26日(火)10時くらいから
場所 大谷地セミナールーム(地下鉄大谷地駅徒歩3分・CAPO向かい)
    *お車の場合駐車場はCAPOをご使用ください。
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三つ子の魂100まで

NYへ行ってきました。
NYは何気ない街角であふれていました。
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マンハッタンの高級アパートメントがあるところも街角ですが、
私が心惹かれるのはどうしてもこんな風に何気ないたたずまいです。

昔、大好きなSOULナンバーの中で夢見たような。

人々の仕事や生活
地下鉄でのおしゃべり
空は晴れたり曇ったり、
電車の音、パトカーのサイレン
会話のようなクラクション
何処からか漏れてくる曲

なにもかもにすっぽりと包まれて
暖かな1人を楽しめる街
そんな街でした。

友人の家では古いSOULナンバーがずっと流れていて、
フロアに座って荷造りする私の手を留めさせます。

その曲をよく聞いていたころの自分や
懐かしい喧騒
それっきり会わなくなった友達

見上げると
キッチンの窓から差し込む光。

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ああ、やっぱりなんて似合うんだろう。
ブルックリンにSOUL

感動に震えている間に曲は
Isley Brothers- Living for the Love of you


とかってもう。

泣ける~。


という事で
帰ってきてからずっと
youtubeでSOUL懐かしシリーズを流しっぱなし

どこかに置き去りにしていた
三つ子の魂を発動中。


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新幹線と言ったって。

新幹線がいよいよ北海道に渡ってくるということで
色々と騒がれているようですが、あまり実感がない札幌市民の私です。

その前に、北海道の大きさと言うのを皆さんに今一度見ていただきたいと思います。
こんな感じですから道東の方などは列車で5時間掛る札幌より、飛行機で1時間半の東京の方が身近だと聞いたことがあります。
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で、今回新幹線が届くのはここの話です。
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ね?遠い話しでしょ?
距離だけで言えば三重県津市あたりの事を、
石川県ちょっと手前で聞いていることになります。

木古内から新北斗

それでもわたしは母が知内の生まれなので
小さなころからこの辺りへよく行っていました。
小学生の夏休みは知内で過ごしていたと言った方が早いでしょう。

それで気になったのが、
スーパー白鳥がなくなれば
私は知内へはどうやっていけばいいのか?ってことでした。
*ここ最近はこれを心配するほど行ってませんが^_^;

今までは札幌から函館まで最速で3時間15分
スーパー白鳥に乗り換えて知内手前の木古内へ向かう。
時間は40分弱でした。

木古内
昔の木古内駅
タクシーが2~3台停まっているだけで
売店の猫が正面入り口で日向ぼっこしているような駅でした。

木古内2
今の木古内駅。
もちろん猫はもういません。

これからは
札幌から新函館北斗駅まで3時間くらい。
そこで新幹線「はやて」に乗り換えて最速13分ですって!

で。。でもっ!
新函館北斗ー木古内間が3250円って、何倍なの?
2倍以上だよね?

ってことで、
在来のスーパー白鳥が走っていた線路を第3セクターが走ることになったそうです。
でも1時間ピッタリかかります。*発駅が違うので実際にはもう少しかかる。
1時間vs13分・・・(-_-;ウーン迷うところです。

と言う事で知内案内(笑)
色々と見どころがあるんですよ^^

この町の有名人は北島三郎さん。
https://www.town.shiriuchi.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000340.html
白黒の写真の中に母を探しましたが、
あ、、そうか、母はこの年まで生きてない。^_^;
ここにでてくる「川波」はお友達、晶子さんがご主人と営んでいるお店で
母も生きていれば訪れていたんだなぁって不思議なおもいになりました。

木古内から知内はバスでも15分くらい。

観光で行くなら知内役場で降りても何もないので^_^;
ここはもうまっすぐ知内町小谷石までバスで行っちゃってください!
アクセスchttp://www.town.shiriuchi.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000400.html

細い道を隔ててすぐに津軽海峡がどど~んと目の前の民宿が3軒あります。
夕食も朝食もローカルな海の幸で素晴らしく美味しいです。

窓からは「津軽海峡しか!」見えないです(笑)

知内MAP
http://www.town.shiriuchi.hokkaido.jp/hotnews/files/00000400/00000411/20120130183252.pdf

MAPの中には
知内温泉和楽園もあります。
ここは開湯が800年前、北海道で最も古いのではないでしょうか?
昔は「姫の湯」という旅館が有って、一度だけ泊らせてもらいました。
*多分叔父の奥さんのご実家だったと。。
そこの裏の川でタオルに小さな魚をすくおうと姉妹で遊んだことを思い出します。

矢後灯台の辺りでは「青の洞窟」が最近有名です^^
「青の洞窟」は民宿で聞くと手配してくれると思います^^

あ~行きたいわ♡知内。
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「〇海道」

3年前、三重の関宿で小さなお店の軒先のベンチに座った時。
向かい側の郵便局の「のぼり」に目が行きました。

何かの看板に上が隠れそこには「〇海道の名産品を・・・」などと書かれていました。
私は頭の片隅で^_^;「なぜここで北海道の土産?」と思ったのですが。

立ち上がってみれば「東海道」とあり、
「あら!そうだ、私がいるのは東海道の関宿だもんね^_^;」と思いました。

東海地方の方は迷うことなく東海道と思う事でしょう^^
人は見慣れた文字は見慣れたように思いこむんですね。

私は40過ぎた大学生の時に、初めて「松浦武四郎」ってすごい、と思った、武四郎ファンです。

武四郎は地元三重より北海道で有名と言われますが、
それは北海道でも広く知れ渡ったという事ではなく
武四郎研究家は沢山いるけど、教科書で知った人か、知らない人、も多いのです。
研究家の多さで北海道に彼のファンが多いということです。

彼が記した絵にはたくさんのたのしげなアイヌの人たちの姿がありました。
未開の地の道案内人としてではなく、
そこには、アイヌの人たちへの称賛がたくさん残されていましたし、
その交流がどんなに信頼と愛情で満ちたものか、その絵からハッキリと分るほどでした。

その当時の日本人でその様な人がいたことを、私は安堵しました。
彼らにとって和人は酷い人間だけではなかったことを知ってはいましたが、
実際にそのような交流があって良かったと思ったのです。

それと同時に、武四郎の晩年を思いました。
救ってあげられなかったアイヌの人たちに対して彼はいつも悲しかったのではないだろうか。
そう考えるからです。

先日、司馬遼太郎の特集を録画で見て、ブログに書いたのですが
http://mayoone.blog96.fc2.com/blog-entry-1157.html
日本人の類いまれな特質について
「公の心」と「名こそ惜しけれ」を持った日本人が変質してきたのは
日露戦争のあとからではないか、という言及を知り

でもな。と思ったことも書きたくなりました。

アイヌの人たちを奴隷のように扱ったのは、それよりも4~50年前に北海道へ渡ってきた人たちです。
開拓使が置かれたのもその戦争の20年前です。
司馬の言う類いまれな精神を持った日本人であれば、このようなことは起きたか?
そう思いました。

その人たちにとって蝦夷地は日本ではないし、
アイヌの人たちはどこをとっても異文化と異相をもった人たちであったから
「公の心」と「名こそ惜しけれ」は発動しなかったのだな。
そう思うよりないのかもしれません。

または、すでに商人の独壇場であって、
役人や開拓使という武士階級の成れの果ての人たちは
恥を持たないただの飾り物に成り下がったか。

松浦武四郎は、やることはやりました。
アイヌの人たちを知ってもらおうとがんばりました。
でも、そこまでだったんです。

もうアイヌの人たちに合わせる顔が無い。そう思ったかもしれません。
彼は晩年もあとこちを周遊し、登山道の整備などの活躍をしますが、
北海道には近づきませんでした。
そして亡くなります。
言い訳もせず。

彼はどうしたらよかったのでしょうか?
私はそのことをよく考えます。

6年くらい前に松阪の武四郎記念館と彼の生家を見てきました。
彼は東京で亡くなったので、この家に住んだのは200年ほど前のせいぜい16年くらいです。

旅が好きで、家出を繰り返した少年は、
それを全うし、
死後の分骨を希望したのも奈良の大台ケ原でした。

北海道じゃないのね。
いや、それはもう辛くて行きたくなかっただろう。
そんなことをつらつら考えながら、

北海道開拓使を批判して役職を降りて、

彼はそれでよかったのでしょう。
「好き」を全うし、生きて、終わって
それが彼の人生だったんだろうって。
そんな風に思うのです。

昨年見た歴史秘話ヒストリアですが、今朝youtubeで見つけてしまい。
この記事を書きました。
youtubeは消されてしまうかもしれませんが貼っておきます。


こちらは11分のもの、武四郎がアイヌの人たちの為にしたことは、
その後世に文字を持たなかったアイヌ文化を助けることになりました。
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情熱弁当さんの糖質制限弁当

先日の名古屋での講座の折に、声を掛けてもらい皆さんでお弁当の配達を頼みました。

情熱弁当さんHP

以前にもこちらの小さなお弁当を食べたことがあって
その優しいお味にうっとりさせていただいたのですが、

今回はどうしても気になって、やっぱり頼んでしまったのがこの糖質制限弁当。
どうして気になるかと言うと
私はほぼ毎日オットのお弁当を作るのですが、
あまり糖質が高くならないように気を付けています。
そうするとやっぱり手詰まり。。^_^;
メニューが決まってしまうのです。

ちょっとお高いですが、何事も勉強←言い訳。

いや~~ん、美味しかった!!
名古屋の方が羨ましい~!

糖質制限

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HPからご紹介すると
・国産食材使用率、常時90%以上(緑提灯5つ星)
・野菜はすべて、無農薬または有機栽培品のみ
・肉魚卵類は、薬品に頼らない自然な飼育のものだけ
・揚げ物が少なく、鰹節の出汁をベースとした和風仕出し弁当
・調味料を含め、化学合成の食品添加物は一切使用していません
・すべての宅配弁当に、生産地などを記載した安心メニュー付
・東京赤坂・銀座で修業した日本料理の職人(店主)がお作りします

※2008年3月のオープン以来、リピート率80%超を継続中!
※80%以上と謳っていますが、限りなく9割に近い80%台です。

ああ、また食べたいっ!!

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顔文字と言外の言

大学の時、講義の中で
生まれたての赤ちゃんはまだ眼が良く見えていないにも関わらず、親の表情を見ている。
と言う実験の映像を見せてもらったことがありました。

それは赤ちゃんの視点がどこを捉えているか?という実験で、
赤ちゃんの見ているところにレーザーポイントが映るのです。

ポイントが一番混んでいたところ、(つまり視線が集中しているところ)
それが「口角(口の形)」「目じり」だったのです。

そのことから、
赤ちゃんは、ぼんやりとしか見えない相手が
笑っているか、怒っているかなどの感情を読み取っていることが考えられる。という事でした。

また、発声される言葉であれば、その強弱からその相手が怒っているか笑っているかがわかると言います。

つまり文字や言葉じゃない時から、
相手の表情や声の抑揚で安心したり、心を許したりし、
その逆も感じるのです。

大人になってからも覚えがありませんか?
私たちはその人の言動や文章よりも、顔を見る癖があります。

「嬉しい」と言っていても顔が嬉しそうではない場合や
声が明るくない時は
「どうしたの?」と思いますよね^^

ところが、インターネットを介してのコミュニケーションはその表情や声の抑揚が見えません。
だから同じ言葉でも自分のコンディションや今までに持った感情からそれを判断してしまいます。

私は癖なのですが、つい、堅苦しい言葉や言い回しを使ってしまいます。
なので、気を付けて顔文字や^^ などを使用しますし、
柔らかに聞こえる並びはどちらだろうか?などと工夫します。
「阿る(おもねる)」のではなく←ほら使った(笑)
私の真意はその方が伝わると思っているからです。

講師と言う立場もありますから、的確に伝えたい言葉であったとしても
常に言葉や言い回しも気に掛けているので、
キーボードをたたくときは、見ていてくださるとわかりますが口角が上がっています(爆)。

文字をつかうからこそ言葉を選び、
言葉を選ぶからこそ、ストレートに伝わる顔文字も使用します。

ビジネスのメールであっても2度3度とやり取りをする相手とは
上手くニュアンスが伝わればと思って一個くらいは名前に沿えて顔文字を使用させていただくこともあります。

顔文字(絵文字)と言うのは日本が発祥らしく
私はいかにも日本人らしい。と、思います。

言外の言。
これが伝わるから。

日本人はもともとこの言外の言の方を多くコミニュケーション利用してきているのです。
それは言葉が通じない相手にもストレートに伝わるという利点もあるほど感情にストレートに届くからです。

ちょっとしたところで
相手にとって「ウェルカム」な親愛が届くのであれば
顔文字、絵文字は大切かなって思っています。

オックスフォード英語辞典が毎年選出する「ワード・オブ・ザ・イヤー」に、今年初めて「Emoji(絵文字)」が選ばれた。受賞したのは「Face with tears of joy (喜びの涙を流す顔)」(下図)で、イギリスとアメリカで最も使用率が高い絵文字だという。日本発の絵文字は、英語でもそのまま「Emoji」と呼ばれ、SNSの発展とともに世界で急速に普及している。オックスフォード辞典は、選出理由を、絵文字と「Emoji」という単語の使用頻度が過去1年間で大きく増加したからだとしている
http://newsphere.jp/world-report/20151119-1/

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そんな場合じゃない、でも。

ターシャ

また見てしまいました。
ターシャの番組はいつも心惹かれます。
何度でも見ちゃう。
永遠のターシャ・テューダー 生誕100年 夢は今も息づいて

私は昨日の早朝からびったりPCに張り付いています。
wix.comというHP作成サイトにものすごい修行をさせてもらっているわけです(T^T)。
来年こそこのwix.comとお別れしよう。と硬く心に決めて、
かたつむりより遅く不安定でモバイルエディターと連携しないエディターに悪態をついていました。

年末だというのにこうなったら執着ですね~
達成感が無いまま年を越えるわけにいかない。そう思ってしまっているのです。

で、かれこれ、21時間PCに張り付いて半分越えたかって位です。

そう、ターシャ見てたり、ブログ書いてる場合じゃないんです。私。

でも。

どうしてもこの二つの事を話したくなりました。

ターシャが言うのです。
「たとえ気に入らない土地でも、わたしなら変えてゆくわ。その結果がこの庭よ。」

そうなのよ。
場所を変えてもあなたが変わらなければ同じ。
だから場所を変える勇気より変えない勇気が必要だったのよ。

1人呟く私。

息子のセスが最後に
「母は、〈絵が描きたい、でも私なんか・・〉と言う人にはひややかでした。
結果ではなくベストを尽くさないことが嫌いだったのです。」

そうなのよ、置かれた場所でベストを尽くして生きる。
そこに人生の美しい庭園が出来るのよね。

私もそんな庭園を作成中です(*^-^)v

そうそう。
私の仕事の先輩は、100を越える「叶えたい事」のなかに
・ターシャに会う事
を掲げていました。

ある日それは急に叶いそうになるのです。

ところが、どんなに探しても飛行機が空いていなかったそうで、
取れるのはファーストクラスだけ。

その先輩らしくもないのですが、
さすがに(自腹で)ファーストクラスは。。。と思ったんだそうです。

けれども呼んでくれた人が、
「何言ってるの!夢じゃなかったの?ターシャは高齢よ、もう生きてるターシャに会えないかもしれないのよ!」
と言い放ったそうで。
先輩はファーストクラスでバーモントに飛びました。

結局、民間人でターシャが最後にあった人はその先輩だったというのですから。
ファーストクラスさまさまですよね。

ターシャってどんな人でしたか?と尋ねたら、一言
「ターシャはね、あのままよ!愛想があるわけじゃないわ、だからいいのよね。」って、

朝からターシャに励まされて
さぁ、私もベストを尽くします^^。


今年はほとんどブログを書けなかったなぁって、思いました。

読んでくださっている方がいたらいつもありがとうございます。
来年もどうぞよろしくお願いします。

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夢見るのはどんな自分?

40歳過ぎて、生命保険から借金して大学へ行くことになった私は
来週から職無し、という状況でした。

お勤めの最後でしたから、お返ししたいことはたくさんあって、
気持ち的にもなかなか全力でのバイト探しが出来なかったのですが。

そんな午後、
トング片手で店先にいた私の前を、昔の知り合いが通りました。
もう何年もあってなかった人でしたが、お互いに「おお!」という感じで話し始め。

「又寄るわ。」と言ってくれた彼に
「カクカクシカジカで来週にはもうここにはいないんだよね、何かいいバイトあったら教えてくれない?」というと、

「じゃ、ウチ来ればいいじゃん。ウチ時給もいいよ」と、と言うことで
彼がマネージャーをしていた高級自然食レストランのお運びのバイトを得たのでした。

彼は私のバイトを授けるために店通を、私の前を、歩いてくれたんですね^^。


その店で私は今に至る「鍵」になった女性たちを見たのでした。

それはその料理やさんに月一でやって来る4人連れのお客様でした。
大学の同期なのかな?といった感じの50代と思える女性3人と男性1人。

女性3人は、貫録のあるスーツ姿で仕事バリバリと行った感じ、
男性もスーツだけどこちらはちょっとくたびれた感じ、

料理屋さんはほとんどコースのお客様なので、
厨房への声かけのタイミングが本当に難しく
頭の中はそのことでいっぱいの私はお客様の話の内容など上手く聞き取ることはできなかったんだけれど

その4人組はいつも写真を見せ合っていて(主に女性がそれぞれ)
シャモニーにスキーに行った写真だとか
クアラルンプールの街の写真だとか
ノルウェーのオーロラがどうとか、
それはもう華々しい旅話の断片だけが耳に入るんです。

バリバリ仕事している管理職、
と言う印象の彼女たちの住んでいる世界に心底あこがれました。

かたや、私は
夢いっぱいではありましたけど、
生活も別な意味でいっぱいいっぱいでした。
この人たちみたいになれそうな時間もスキルもありません。

ましてや大学を出たからと言って45歳の予定
就職は出来そうもないし
就職できたとしても仕事と家事で時間が無いでしょう。
*当時はその程度の選択しかできなかったんですね~感慨深いです。

でも、大学へ行くという夢を叶えたばかりの私は
人は決めて行動したらそうなる。と体得していたので、こう考えました。

よし、私もこういう50代になろう!

それからはこの方たちが来るたびに
その思いに立ちかえらせていただいていました。

またお店自体割と高級なのでお客様も素敵な方が多かったのです。
給仕をさせていただきながら、お客様から受け取る感覚が気持ちがいい。

いつか私もこの店でお客様になって
給仕してくれる方にとってそう言うお客様になれたら、と、
そう夢見ました。

残念ながらそのお店は無くなりましたのでその夢は実現しなかったのですが、

今ではぼんやりとしか思い出せないその4名(不思議なことにヨれてた男性は良く覚えている(笑))とか
誕生日を祝うプレゼントを持った男性の前におしゃれをしてお子さんを連れて嬉しそうに座る奥様とか
クリスマスを祝う一見地味なんだけど豊かさがあふれているような家族。

そう言う人たちがいてくれていたおかげで、私は次の夢を見られました。

私の世界にはその方たちが必要でした。

そのことを忘れないでいよう。と思うのです。

世界中の素敵な事や
この世界の輝きを受け取り、反射したい。

誰かの為にそんな自分であろうと、思うのです。


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向いていない、もチャンス

以前にフォーエバーの会議で思ったこと
「私ってやっぱりこの仕事に向いていないんだなぁ」ってこと。
向いている人って「動き」が違うものね。

そう気が付いちゃったわけです。

でもじゃぁ何故ここまで来て、収入をいただいているのか?を考えてみました。

まずフォーエバーの仕事が伝わってきたとき
「それが直感だったから素直に正しく従った」としか言いようがないわけです。

身体の事や心のこと、人と人の仕事。
その為に勉強して、その為に活動して。
後は待つ。。。ヘ(__ヘ)☆\(^^;

だって、人の心はコントロールできませんからね^^

「向いてない」って最高の秘薬?

「向いていたら」気が付かなかった収穫がきっとたくさんあったんだろうと
今までの日々に感謝し、
一緒に歩んでくれた仲間たちにただひたすら感謝なのでした。

向いてたら向いてない。

人生にはいろんな隠し玉が潜んでいますね(*’-^)-☆
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我が家のハナモモは美味しい

サクラより少し後に咲くハナモモ
色んな種類があるようで我が家のハナモモは紅梅のような色と形です。
今年の初夏もたわわに咲きました。*写真は園芸やさんのものです。
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そして夏を過ぎると梅より少し大きなこの実がたわわになります。
ハナモモと言うだけあって、桃の香りがしますが、食べておいしいものではありませんでした。
香りだけは良いですが硬くて渋いのです。

今年も沢山の実がゴロゴロと庭に転がっていました。
勿体ないなぁ何とかならないのこんな立派な実。
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藻岩山に雪が降った次の日、そう思って枝についている立派な大きさの実に手をやると
「柔らかい?!」
静かに押してみると確かに果肉が熟した感触がします。
それで少しもいでキッチンへ走りました(笑)。

包丁を入れると、手に伝わってくるのはまぎれもない「熟した桃の感触」です。
感動するほど桃の感触そのままなんです^^
皮目をひっくり返して齧ってみると「甘~い!」

ちょっと桃よりボケた食感で、酸味もありますが、
味も香りも「桃」
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それでわかったこと。
・黄色実を帯びてきて柔らかくなったら食べごろ
・熟して美味しくなったら土に落ちてしまう
・触ってもげるくらいが一番おいしい
・しっかり光に当たってないと熟さない

つまりこんなにたわわになっていても、食べておいしいのはわずか。
常に見張ってないと美味しいのは食べられないけど
そこまでするほどおいしいか?と言われたら微妙。

と言うことで、
ふと、秋の深まった日に熟したハナモモの実を食べて美味しかったらラッキー♡
という判断となりました(笑)

焼酎に漬けても飲まないし*きっと桃の香りのお酒が出来ます。
ジャムにしても食べないし*美味しいかもしれません。

来年はもっと見張ってよう。そう思うのでした。
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一番だましやすい人間

これはずっと書こうと思ってたんだけど書くタイミングが無かった話です。

5年ほど前でしょうか?テレビで伊集院光が話していて、
「なるほど」と思って、それで多分5年ほど前から書きたかったはずですが、
だんだんとあやふやな覚えになって書くの大変かもと思ってたんですね。

そうしたら「数字」について調べていた時に全文紹介してくださっている人がいて、
どうしてこんなところに!と思うとともに私の頭の中には
「求めよさらば与えられん」と言う言葉がキラキラと光ったのでした^^

それは落語家として修行してて、その落語を辞めるきっかけになった話のくだりでした。

彼は立川談志の落語を聞いて「自分はこうはなれない」と思って落語家を辞めた。
と言う話を当の本人にしたときの話し。

立川談志
「本当だろうよ。本当だろうけど、本当の本当は違うね。
まず最初にその時お前さんは落語が辞めたかったんだよ。
『飽きちゃった』とか『自分に実力がないことに本能的に気づいちゃった』か、簡単な理由でね。
もっといや『なんだかわからないけどただ辞めたかった』んダネ。

 けど人間なんてものは、今までやってきたことをただ理由なく辞めるなんざ、格好悪くて出来ないもんなんだ。
そしたらそこに渡りに船で俺の噺があった。
『名人談志の落語にショックを受けて』辞めるなら、自分にも余所にも理屈つくってなわけだ。
本当の本当のところは、『嫌ンなるのに理屈なんざねェ』わな」

図星だった。もちろん『ショックを受けてやめた』ことは本当だし、嘘をついたり言い訳をしたつもりなどなかったが、自分でも今の今まで気がつかなかった本当のところはそんなところかもしれないと思った。10年もの間、いの一番に自分がだまされていたのだから、完全には飲み込めていないけれど。

************************

この話はもっと長いやりとりがあるのですが
知りたい方の為に敬意をもってリンク貼らせていただきます。
「世界は数字で出来ている」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1758.html

私がここまで生きてくる中で、きっといくども使った方法だろうし、
何度もそれを使う人の話を聞いてきたとも思うんです。

自分が一番だましやすい相手は自分なんだなって。

だから今は
それに気をつけろ
それに気付け。

そう言いたくて生きてるようなもんです。

言えば暑苦しいので言いませんが
全身全霊で思ってるわけです。


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たくさん「生きよう」と思う日

終戦記念日が近づくと、新聞やテレビで特集が組まれます。

ほんとうに若くて、
それでも自分の命で家族を守ろうと特攻機に乗っていく人たち、
爆弾を胸につけられて相手の戦車の下に潜り込まされた沖縄の人たち

お互いに怖くて怖くて殺し合うしかなかった日本兵と米兵

その事実の一つ一つを
残された言葉や思いを
「知っていてあげるたい」と思うので
辛くて悔しいけど、しっかり見ます。

今年は戦後70年と言うことで、
私は今まであまり出なかった、知らなかった情報にたくさん触れることになりました。

ソ連兵から逃げながら引き揚げる人たちが
中国の村を通るときに、渡す金品が無ければ
未婚の女性を差し出すしかなかったこと。

日本人の家へソ連兵が若い娘をさらいに来ること。
連れ去られぼろぼろにされて、

そのどちらも「妊娠」してしまう事。
国家としてそれらの堕胎を補助したこと。
葬られたたくさんの小さな命

アメリカ軍の古い映像で、沖縄のバンザイクリフから
赤ん坊を投げ落とし自らも落ちていく若い母親を見ました。

なにも死ななくても、と思うのは、あまりにも不遜な言葉だと思いました。
捕まったらどうなるか、特に女性はどんな目に会うかと散々脅されてきた人たちは
それよりはこれを選んだのだから。

後からの人たちの言葉などどうでもいいのです。

画像の中にある、落ちていく前に確かに生きていたお母さんの心に触れたい。
死ぬことを選んだ決意をああだこうだいうのではなく
ただ知っていてあげたいと思うのです。


日本中みんながどこかもう狂っていた。
特攻隊にいたお爺さんが言っていて

そうなんだろうと思いました。

何もできないけれど、
言葉や文章や写真の中の笑顔、
崖の上の決意や、どんな恐怖だったか。
どんな思いをしたのか

少しでも知っていてあげたくて

そして、その人たちの分も笑って、食べて、
その人たちの生きられなかった分、代わりに十分だというまで、
生きて行きたい。

その人たちの為にそうしたい。

そう思うのでした。
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