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『動的平衡』

感動が薄れないうちに。

twitterで見かけた福岡伸一bot

生物学を学ぶとわかるのが、世界のあらゆるものが「流れている」ということなのです。
私たちを構成する分子はやがて空気中に流れ出していって、次には海の一部になるかもしれないし、岩の一部になるかもしれない。
生物とは、そうした流れの中にできた一瞬の淀みのようなものです。



私自身もそう思いますし、
その言い表し方がとても素敵でリツィートさせてもらいました。

つい最近そこからbotをずっと眺めていて

やっぱり良いなぁこの人、
この人の本読んでみたいなぁと思ってレビューを見たら

あ、ライアルワトソンの事を書いているの?
お!それもそちら側なんだ!
やっぱりねぇ。うれしい💛

おまけに、今気が付いた
私が好きだった彼の本を訳した人だったんだ。

・・・知らなかった。
だってその本読んだのずいぶん昔。

どーりで、私の琴線がピロピロ震えるわけです(笑)

そんなわけでライアルワトソンの事をどう書いているのかも気になったし、

この人の文体がとても好きだしと思って買ってみました。



そして2日で読みおわりました。
面白かったから。
読み終わるのが惜しいとおもったくらい。

2009年という古い本だったのは手に取ってから気が付いたのですが
それを感じさせる部分も気になりません。

福岡氏はテレビでよく見る顔でしたが、

今これを書くのに調べてみて
初めて何者かわかった感じです。

生物学博士で専攻は分子生物学(!やっぱり!)で農学博士

本からトピックスをつまんで少し書いてみようと思います。

まずは彼が言った
「直感には頼るな」についてです(笑)

そこに至るまで脳にかかっているバイアスは、
それまでその人間にとってなぜ必要だったか?を証し

それによって狭い世界しか見られていないこと、
直感が導きやすい誤謬(ごびゅう~誤り)を避けた方がいい
だから直感に頼るのではなく学ぶことは必要である。

という話なんですね。

私は曼荼羅の描き方を「直感で」と言い続けています。

直感がどこにあるか?
直感はどんなものか?

これらを見つけ身に着けて描いていってもらう事が大切だと説いています。

思い付きは自分の知識の中のもの、つまりは「意識」からやってくる
直感はそれ以外の閃き、脈絡のないものつまりは「無意識」からやってくる

と、考えています。

福岡氏のおっしゃる
「直感には頼るな」という部分は
「思い付き」を表しているんですね。

で、私は後者の事を言っているのですが、

面白いことに、実は同じことを言っています。

なぜ直感を頼ってはいけないか?は
それがそれまでに得てきた環境で出来上がっているから
「直感が把握しづらい現象へイマジネーションを届かせるためにこそ勉強が大切であり
それによって自由を得る」のだと。

そうそう、私は最初からそれを直感としてそれに気づくための練習を
この曼荼羅を描くことで得ていってもらおう。としている。

福岡氏は
「おもいつき」を直感と呼んでいるので「それを頼るな」と言っていて

私は「今まで培った意識の中のものをなるべく使うな」といっている

言葉の使い方とそこに持つ意味の違いで

「直感を使うな」

「直感を使って!」

の二手に分かれてしまったんだな~っと、
面白く感じたわけです。

という事で、分子生物学の面白い話はまた後日(^_-)-☆

ライアル・ワトソン博士の本のレビューをこのブログで昔、書いていたので、
暇になったら読んでみてくださいね。

実際には日付よりもっとすごく昔に書いたものですが、

私にとってライアル・ワトソン氏の本は
人類や生物に対していつも甘酸っぱい思いをさせてくれた
素晴らしいものばかりです。

未知の贈り物 ライアル・ワトソン
2012年09月06日 (Thu)
http://mayoone.blog96.fc2.com/blog-entry-753.html
『ネオフィリア』 ライアル・ワトソン
2012年09月07日 (Fri)
http://mayoone.blog96.fc2.com/blog-entry-754.html
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本の話し | Comments (0) | Trackbacks (-)

父の誕生日

数年前の話、
旅先で妹二人の会話が耳に入った。

母が作ったミートソースの作り方を再現したって話だった。

2番目が3番目に得意そうに言っていたのは、
私が知っている通りの作り方だった。

「え?知らなかったの?」と思ったと同時に
鼻の奥が痛くなった。

母が死んだとき
二人は中学生だったんだ。

弟は小学2年生で
私は18歳になってから10日目だった。

私は18年間一緒に暮らしたけれど、
妹や弟はまだもののわからない年数を含めて
10年前後しか母を知らない。

小さなときから母が料理を作るのを見るのが好きで
毎晩台所に張り付いてみていた私は

母がほぼ突然にいなくなっても
夕食の支度に困ることはなかった。

弟の運動会だってお稲荷さんが作れた。

多分妹や弟にその件(くだん)のミートソーススパゲティだって作ったはずだ。

なのに、そんな

隠し味にソースを入れたんだね。
なんて話をされたら。

可哀そうで切なかった。


私たちは生きていて
その命を終えるまでに

沢山の人を見送る

一緒に過ごした年数が
たとえ10年だろうと、

それぞれの胸の中で
きっと思い出の質量は同じだと思ってきた。

そう思わなくてはやってられない、

妹たちや弟にそれが
私より少ないと思いたくなかったからだ。

なのに、

父と母の20年間の結婚生活より長く
一緒に暮らした父に対して

長い間の笑いや憤りが、
母以上の質量をもっていて

何かにつけ思い出してしまうこんな思いを

妹たちに多く持たさなかったことを
少しほっとするのだ。

そんな感情を、
感情のままに眺めた昨日は、

父の誕生日だった。
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