Aloe*Wing 

全ては綾なすイリュージョン
TOP心と宇宙の話し ≫ シフト3~ハンドルを切ったのは誰?

シフト3~ハンドルを切ったのは誰?

今回一連のタイトルを「シフト」としている理由、

それは。

人は実は何度も死んでいるかもしれない。
その都度、違う層へ「シフト」し、人生が継続しているように思えている

・・・かもしれない。

と、考えているからです。


大昔は
死んだらどうなるんだろうか?
何も無くなるなんて信じられない、
きっと姿の無い思考(霊)だけが残るのでは?
その思考が大気中の何かを利用して形になるとき
幽霊のように目やレンズに映るのだろう。

そう考えていました。

というか。。。その当時は
この世界のものではないものを見たことがあるとか
確かに感じたことがあるので、
そういう理解に及んだ。

と言う事なのですが、

例えば目で見えたこの世界のものではないものや人は
私の眼にはすべて
「てらっと濡れたビニールっぽく」見え、
それが動くときは
「BSが変な時のようにモザイク状に」見える。

いつも見えたり感じたりするわけではないので、
人生の中で5回くらいそう言うのを見たり感じたりした。

と言うだけの事ですし、
テレビのように何度もアプローチが掛るようなものでもなく
あまりにもさりげないので、後から「??え?」とか、が多いのです。

話しがずれそうなので(笑)
\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/オイトイテ

前世の記憶が脳にあるとか
雲の上から、お母さんの所へ来ようと思ったの。とか
意識体が戻る場所があってそこからまたやって来る。とか
説明のしやすい状況が起きているんだろうと、考えていました。
*私にもこの世界では説明のしきれない古い記憶があるからです。

でも、そこから色々と変化してきて
つい最近まではこう考えていました。

やっぱり自分にとっては、死の向こうは本来の「無」なのかもしれない
それは、夢を見ない眠りが「無」であることと同じに。
時間もなく、体も無く、よって「無であること」も無い「無」。

まぁ、でも 
私はまだ死を体験したことが無いわけで、
その時にハッキリわかることを
別に今あれこれ追求しなくてもいいや、時間の無駄だな。

と思うと同時に
あちらが「無」だとすると、こちらは「有なのか?」
そもそもがこの世界はそのように相対的に存在するのか?

なんて考えてしまって、
最後はこう思うのです。

あははは。どっちでもいいけどきっと、
私はそんなこと考えたりしたくて今ここに生まれてきたのね~☆ヽ(▽⌒) って、
どっちでもなんでも、結局は構わない。

しかし、近代の電子的ネットワークのすごさで
わたしは画面から「リアルに」人が巻き込まれるようなものを
視られてしまう時代に移行してきていました。

それらを見るほどに、
「見ている自分(第三者)」であることが不思議になってきました。

つまり、一度も自分が当事者ではない事は何故なのか?
を、考えるようになってきたのでした。

いや、自分は大きな事故、災害の当事者である。
そう言う方もいるでしょう。
でも今これを読めていますすよね?
あなたは「生きて」いるし、
これを書いている当事者でもない。

人は自分の人生においてのみ当事者であって、
目に見えているすべてのものに対しては「第三者」であるだけのこと。

それが、
この世界をイリュージョンとして「個人が持ってるもの」と、
考える理由になりました。

だとすると、
イリュージョンの中に死が存在するのも変だな。
何かしっくりこないな。
まぁ、いいか、そのうち何かが答えをくれるだろう。

そう思っていました。(いつもの事なのですが(笑))

ああ、長い。。。^_^;
タイトルの話にこれではたどり着かない(T^T)

どうしようかな~と思いつつ、このまま進んでみます。

で、先月その答えを貰いました。
えっと、お名前を出してもいい話なのかが分からないので
ここでは伏せておきますが、

「地球にはね人類が絶滅するような危機は沢山やってきているし、実際に何度も滅亡しているよ」
「東北の震災もあれによって(連動し)日本はいったんすべてがダメになった、でもその瞬間に一斉に人類はシフトを変えた。」
「この世界はずっと意識体が一斉にシフトを変えていかにも継続しているように感じている」

(゜ロ゜)キャー!!答え貰っちゃった!!

そう私は思ったのです。

で、タイトルの話がようやくできます^_^;


私はこの体験が、いつの事だったか
その時車は何だったろうか?考えてみたのですが分らず。
ただ、神対(を読んだ)以降だとおもうので、16,7年前くらいとしておきます。

その日私は現在の家へ戻るところで
車は36号線を千歳方向へ向かって走っていました。

みぞれ交じりの雪が降り、路面はシャーベット状でした。
シャーベット状というのはその上でタイヤが回るだけになってしまうので
とてもハンドルの効きづらい路面です。

東豊線月寒中央駅のパンやのHOKUOのある、水源地通りとの交差点。
事はそこで起こりました。

歩行者用の信号が点滅しだしたので、少しだけアクセルを踏みました。
*そんな路面で強くアクセル踏むバカはいません。

そこに対向車線から右折を掛けてタクシーが曲がってきたんです。

ええ?と思いながらもそのタクシーが曲がって通り過ぎるながれだったので
少しブレーキを踏みました
*そんな時に強くブレーキを踏むバカもあまりいません。

ところが歩行者用点滅してもう赤になっているにもかかわらず。
渡ろうとした自転車が入ってきてタクシーは通り過ぎるはずだったのに、
私の車の進行方向の先で停まってしまいました。

「!!!!!!」
もちろん言葉もありません。
タクシーの後部座席のお客さんの恐怖でひきつった顔が私の眼の中に飛び込んできました。

もう、全てがコマ送りです。

右にハンドルを切れるか私はバックミラーを見たと思います。
そこまでしか覚えていません。

そのとき、ハンドルがだれかに持たれた。ように感じました。
少なくともそんな風に私はハンドルを切った覚えがありません。

車は綺麗に横に「U」の字を書くように、タクシーをかわしました。

右にずれて右車線に入ったのではなく、
横Uの字で右にかわしてすぐ左車線に戻ったんです。

私の身体は車の中で振り回されました。

「なに?今の何?」

タクシーにぶつからなかったことより、
何故勝手に車のハンドルが切れたのか?
もう頭がパニックで、

その後に今起こったことのショックで全身が震えて、
運転が危険と思い、その先のパチンコ屋さんの辺りで車を停車しました。

落ち着いてから家に帰りましたが、

自分の身体の振り回されようは
自分がハンドルを切ったのでは起こらなかっただろうという事。
シャーベット状の道路であんなに綺麗に横Uの字は切れないという事。
間近に見えた後部座席のお客さんの恐怖の顔。

ともかく、
私は助かっている。
神様がハンドルきってくれたの?
私があなたがいることを信じているから?

そんな風に考えていました。

何が起きたのかはわかりません。

そんなの錯覚だったんじゃない?と言われたら
絶対違うとも言い切りません。

でもそのときに考えた3次元的な
「神様が助けてくれた」と言うことは
もっと高次元の現象だったのではないか?
と、考えだしていたのは近年でした。

そこに、その「シフト」の話がぱきっとハマったのでした。

つまりそこで事故を起こして、
・死んでしまった私の人生の終わり
・死にはしなかったけれど死なせたかもしれない人生
・死にはしなかったけど大きな障がいを残した私

色んな次元があって、

私は見事にかわした方の人生の続きへシフトしたのかもしれない。

と言う事です。

では、考えうる他の次元のわたしは今どうなっているの?と聞かれれば
それはもう私ではないのでわからないとしか言いようがありません。

このような事をこのような解説で書きましたが、

私の人生の中では、
私が思ったり、考え至ったりしたことは逐一、
その後に本の中や他の方の文章の中に
ほらね。と言う状態で見つける仕組みになっているようです。
今まで100%がそうでした。

きっと私が書いたことで、それもやって来るでしょうし、
そう考えていたのでシフトの話しがやってきたのだなって思っています。

ああ、すごく長い話しになってしまいました。
読んでくださった方ありがとうございます。


このハンドルを切ったのは誰的な話を一度書いたことがあるような気がして
ブログ内検索を掛けてみました。
ありました。
そこでも今日の上の話と同じような事をくどくど書いていて^_^;
自分で呆れました。
読みたい方はどうぞ2011年12月のブログです。
http://mayoone.blog96.fc2.com/blog-entry-513.html
関連記事

Comment













非公開コメントにする
プロフィール

mayo

Author:mayo
アロエベラと潜在意識

お薦めブログ
attention
当ブログの写真・文章の一切の転載をご遠慮ください。
Powered