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知的探究心は人類の業 3

この番組から感銘を受けて、先日から書いていますが。

ETV特集「暗黒のかたなの光明~~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0605.html

これが放送されたのは昨年(2011年)6月、
震災に続く原発事故から3か月ほど経った時点です。

 ●      ●     ●     ●
震災前 ― 震災 ― 6月 ― 現在

人類の意識の置かれている ● 点は少しずつ変わって、

その点と点を結んでいくと
それによって延長される線の方向も変わった、と、思っています。

一人一人が実現できることを集約して 「光明」と梅棹氏は見たのではないか?

私はそう思いました。

彼に近い人間は、未完のままの「人類の未来」で、梅棹氏が何を書きたかったのか
それぞれに、話してくれました。

梅棹氏の後輩 国立民族博物館名誉教授 石毛氏は
太平洋戦争の敗戦が決まり日本中がしょげ返っているとき
焼け野原に立って「これで新しい日本が誕生する」と、
梅棹氏は逆に希望に満ちていたと、エピソードを語り
物事をけして一面で捉えなかった梅棹の思考法に光明があるのではと、
また、
物質文明の豊かさの中で快適に暮らせることが文明と思われがちだが
それは、文明の一つの側面にしかすぎない、
文明と言うのはもので表現するだけではなく、人間の心の中に構築されていくものでもある。
それを考えていかなければ、と、おっしゃり、

ノンフィクションライターの山根氏は
経済と言う左脳的な働きばかりが優位にある世界で、
右脳的な「情」であるとか「心」の部分がないがしろにされてきた。
今は右脳的なそれらを発動することで
暗黒の先に光明を見いだせるのではないか?と


宗教学者の山折氏は
「ノアの方舟物語」にみる、「生き残りの文化」と
仏教の「三車火宅の物語」が言う「すべて掬い取る」教えを比べ
日本人は頭では「生き残りの物語」を戦略を受け入れ
首から下には「無常観」や「三車火宅」という仏教感覚がある。

この2重の感覚を持つ日本人が、
限りある資源のなか、立ち行かなくなる循環を前に
自然に対して攻撃的にふるまわない、受容的な気持ちで接っすることで
危機的な状況に冷静沈着に対応できうると

その時に役立つのが仏教的な物語であって
これが西欧の宗教の持つ「生き残りの文化」的な
欲望のコントロールと言うことではなかなかできません。
光があるとすれば仏教的な思想のなか、「三車火宅」の彼方からやってくるのではないでしょうか、
そう語っておられました。



梅棹氏は、それまでプロしか写せなかった写真が、一般的なカメラの出現で
誰でも写せるようになるのを見て、
1954年に「アマチュア思想家宣言」という文を書いています。

思想は使うべきものである。
思想は西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではないのであって
アマチュアたる土民のだれかれの自由な使用にゆだねるべきである。
プロには任せておけない
アマチュア思想道を確立するべきである。
    『アマチュア思想家宣言』(1954年)より



例え私たち人類が「業」としての科学への知的探究心を持っていたとしても
必ずしも、ここへたどり着くシナリオだけではなかった

貨幣経済にミスリードされたシナリオではなく
人類はひょっとしたら、
ここではない違う未来、オルタナティブな未来を持っていたのではないか?と
私はいままでずっと考えてきました。

そしてそれは、まるで幕をめくるように変わるときがくると。


ここから、梅棹氏の見ようとした「光明」を覗きこんでみれば
この大震災にまつわる出来事こそ、
「後戻りすることのできなかった貨幣経済」からの脱却への、
微妙な角度が付いたのではないか?とそう思ったのです。


番組の最後に、梅棹氏の後輩であった
国立民族学博物館教授 小長谷由紀さんはこうおっしゃっていました。
荒俣氏との対談です。

小「文明と言うのは制度と装置ですけれども、それは一旦出来上がるとなかなか壊れない。
 そこかしこに亀裂ができても、壊すのは難しい
 だからほころびを見て見ぬふりをしたままダラダラと続けてしまう。

 現代社会は今もなお、政治家だとか社長だとか、
 そのほころんだ制度と装置を維持するためにいるような人たちに頼っても、立ち行かないわけです。」

荒「維持と同時に利益を得ているわけだから・・・」

小「そうです。原子力発電なんかも基本的にはそうでしょう。ビジネスとして動いているのですから、
 どうしても無茶が通ってしまうのですね。
 皆がもう、そこに気が付いているのに抜け出せなくなってしまう。

 これを抜け出すとしたら、一人一人の、これを見てらっしゃる方の一人一人が主体者となって
 梅棹忠夫がかけていた「英知」の部分、そこにめがけて知的生命体として幸せに生きることを追求する。」

荒「そうか、わかってきた。
  今のカメラで言うと、専門家はそのカメラで食ってるわけで
  アマチュアはカメラを楽しんでいる。
  その楽しむ力では何かを変えられるんですね?」

小「そのアマチュアの力で何かを変えられる、そうそっちでしか変えられないので・・」

荒「まさしく『英知』だなぁ~」

小「そっちが『英知』で、これで喰っちゃってる人は『理性』になる。
 もともと目的があって、その目的のためにやっちゃう。
 
 我々は好き勝手にやって・・では、次世代に向かっては無責任な形ではないかと
 その人たちはまだ万全にその生を全うして、知的生命体として生き切ってなから
 そういう累々とした営みを続けて行ってもらうための責任ってあると思うんです。
 なんとか舵を切りなおすということを我々の責任でやるべきじゃないかと。」


番組はこの後荒俣さんが東京の街中の灯りが節電で暗くなったようすから
光明はこの暗闇から。。と、閉じています。


バシャールから始まり、小さなころからの疑問を少しずつ
スピリチュアルな分野と精神世界的分野から、(自分なりの)回答を得て
ここまで生きてきました。

宗教では解決しない人類の持つ性質を納得して、
私がようやく獲得した(私なりの)「人類の未来」がありました。

いつかそうなるだろうと思った、私の思い。
梅棹氏の「光明」が、皆さんの語るようなものだとしたら、
それはまさしく私が描いていたものでした。

原発事故が、このように日本や世界を変えて行っても
まだ「原発にすがろう」とする人たちの姿に
この船の重さを、重すぎる重さを、刻々と知ることになって

船はびくともしていないのか?それともゆらゆらと少しずつでも揺れを増しているのか?
そう聞かれれば、

「絶対に揺れ出している。」そう答えたいのです。



梅棹氏が亡くなったのは2010年7月
あまりにも暗く、書けないままになってしまった「人類の未来」

もし氏が生きていらっしゃったら、311の震災の後一気に
最終章「暗黒からの光明」から先に、書きあがったのではないか?
そう思いました。

長くなりましたが、「理性と英知」に関して番組ではもう少し踏み込んでいました。

機会がありましたら、PANDORAテレビのみ、見ることが出来ますのでどうぞ。
*PANDORAテレビは見る為には登録が必要です
http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=afwefqwq&prgid=42398670&categid=all&page=1#.TziWM64mISU.facebook
映像は途中途切れたりしても放っておけば勝手に入ると思われます。


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