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ニシン御殿の夢

今日は法要で

小樽市祝津にある「旧青山別邸・小樽貴賓館」
へ行ってきました。

小樽出身の主人も、主人の友人も
「初めてきた。」というので、

観光で来た、道外の方のほうが
ご存じなのかもしれません。

早めに到着してウロウロしてたら
観光バスでちょっと優雅な昼食を取りにきた方が多かったです。


北海道の日本海側は昔
ニシン漁で栄えてた時期がありました。

その時に建てられたのがこの別荘
「旧青山別邸」です。

外からしか写真を撮れませんでしたが
DSC_0933.jpg DSC_0934.jpg
DSC_0935.jpg DSC_0938.jpg
HPからならもっと中も見られます。
http://www.otaru-kihinkan.jp/index.html




HPにはこんな説明がありました。

青山留吉、政吉の親子二代に亘り財を成し、
青山家最盛期の大正6年、
二代目政吉が娘夫婦の民治・政恵と共に、
別荘の建設にとりかかりました。

当時、にしん大尽と呼ばれた政吉は、
美意識が高く、一流好みでした。
その為元場とは違う芸術的な建築物を目指し、
約6年半の歳月を要して完成させました。

三代目政恵は17歳の時、
山形県酒田市の本間家邸宅に幾度となく招かれ、
その豪勢な建物に魅せられていました。

当時、本間家は
「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」
と言われる程の日本一の大地主でした。

父政吉が別荘の建築にとりかかった時に、
政恵は「あの本間邸以上のものをこの祝津に建ててやろう」と
決心したのでした。


詳しくはこちらで
http://www.otaru-kihinkan.jp/aoyama/index1.html


ニシン漁と言えば私には忘れられないものがあって。
豪奢な建物をみながら
そのことを思い出していました。

大学生(45歳でしたが(爆))の時
学芸員資格を取るための研修で2週間ほど
北海道開拓記念館へ通ったことがありました。

その研修の中で
バックヤードの整理を頼まれた時のことです。


ニシン漁が栄えた頃に使われた
「モッコ」を片づける機会がありました。

「モッコ」とは
ニシンを入れて運ぶ箱の事で
約20キロのニシンを入れて
船と番屋を往復するためのもので

こんな形をしています。

mokko.jpg


古ぼけたモッコには
未だにウロコが付いたものが多く。
私を驚かせました。

ウロコも貴重です^_^;
落としてはなりません。

丁寧に作業していたら

小さなランドセル位の
子供用のモッコがいくつかありました。

写真で見るように
大人用のモッコはほとんどが
荒縄の編んだものでしたが

子ども用のものは
端切れを丁寧に編んだ
帯状のものだったのです。

母親は小さな子供の肩に食い込む紐を
少しでも和らげるために
これを編んだのだろうと思うと。

このモッコを背負った子供は
親の背中を追いかけ
少しでもそれが親の仕事の足しになることを思い
それは、きっと、幸せだったろうと

そう思いました。



方や、この豪勢な屋敷の中で
この世の美を集めた少女も
いたのですね。

高台に建つ建物から
海を眺めていると。

その時代の祝津の浜が
沸き立つようにニシンであふれたことを

この目で見ているように思えました。



DSC_0940.jpg DSC_0937.jpg
5階の会場から見た海と、貴賓館の玄関ホールの天井。

DSC_0936.jpg
「小樽貴賓館」は5階建てのこんな建物です。


法要と言うこともあって
お料理は写真で撮るのは失礼かと思い

HPからです^_^;
こんな感じ。
ryouri.jpg
とても美味しかったですよ^^

懐石弁当などのメニューもあるので
小樽市街からちょっと足を伸ばして
素敵なランチが食べられますね^^
おススメです。


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