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『ネオフィリア』 ライアル・ワトソン

昨日に引き続き、ライアル・ワトソンで

『ネオフィリア』のレビューをアップしておきます♪

『未知の贈りもの』もそうですが、中古でしか買えないため
すごく安い!です(笑)。

興味があったらぜひ読んでみてください~!

 neo.jpg


下記のレビューは2002年に私が書いたものです。

すごく長くてごめんなさい(T^T)

***********************


「ネオフィリア」~Neophilia    ライアル・ワトソン


猫科のライオンとトラは、骨格からは判別が付かないほど近い存在ですが。
その性格には明かな差があるようです。
ライオンは生まれつきの怠け者らしく
食べるものさえ沢山有れば、いくらでもうたた寝が出来るのですが、
トラはそうはいかないようですね。
「彼らには求めるものがはるかに多い」と著者は言います。

ほとんどの動物はライオンタイプ。
有る一つの物事に付いてのスペシャリストであると言います。

しかし、種としての私たちはトラの傾向があるようです。

飽くことなく探求を続け、あくせく動いて、
何事も試してみる気がある以外は、
取り立てて得意とする事はないようです。
ヒトは動物としては遅くて、飛べなくて、潜れません。
でも生き残る為ではなく、子孫繁栄…と考えるときには
何でもやる柔軟性を兼ね備えています。

そして、チャレンジを好み、進んで新しいもの、違うものを求め
無理をしたり、チャレンジをするのがすきなようです。

刺激を求め、あえて我が身を危険に晒したりする
そんな我々を……「ネオフィリック」(新しもの好き)
と著者は評しました。
そして「それこそがヒトの成功の秘訣であったのだ」
と著者はそのヒト族の不思議を探っていきます。


ヒトの知覚、視覚、聴覚、嗅覚、の一様の不思議さを追いながら、
「我々ネオフィルには意外な才能が有るのは明らかである。」
と著者は言います。


例えば私たちは本当はどこまで聞こえているのでしょうか?
この貝殻のような形をした耳の高性能さは不思議だらけです。

音の出す波動の中で「可聴域」の周波数を持つ音だけを
私たちの耳は取り込みますが
それ以外の音が「聞こえていない」わけではないのです。
耳は聞いているし、身体も聞いています。

その証拠に、ある周波数では、身体ははっきりと反応して
具合が悪くなります。
つまり私たちにとって、「聞こえる」というのは
脳が認めたときに起こる現象なのでしょうね。
視覚や聴覚も同じです。


わたしの体験をお話してみましょう。


私が、勤めていたお店で、揚げ物の鍋に火が入ってしまい。
火災報知器が鳴って、厨房のドアを開けたところ
黒煙の中に1m以上の火柱が立っているという
ぼや騒ぎを起こしたことが有りました。

パニックを起こし、そこらにあった水を掛けようとした
女の子を金切り声で止めて、ドアから引き剥がし
鍋の脇にあったサニーレタスをつかみ、鍋の中に入れました。
それが功を奏して火柱は収まりました。

その時隣りのお店から消化器が来て黒煙を上げている鍋周辺に蒔かれました。
オマケに消防車が到着し、消防士が上がってきたのです。
近隣にひたすら頭を下げ、溶け掛かったワンピースを惜しんでいました。
怪我はないですか?と聞かれましたが、私はどこも痛くなかったのです。
だから15分も20分も気が付かなかったのでしょう、


誰かが私の手のひらから手首までの火傷を見付けました。
私は驚き、慌てて水道に走って冷やそうと思いました
水道の水と一緒に手首から手の平までの皮膚が流れてしまったときに
初めて痛みは心臓を飛び出しました。


外傷が「痛い」なら、私はとっくに痛かったはずですよね?
それに気が付くまで、一切痛くも痒くも無かったんです。

脳は忙しく活動し、
外傷に向かう余地が無かったのではないでしょうか。

そう、私たちが見たり、聞いたり、感じたりすることは
すべて脳を通して感じることなのです。



著者はここから先へと進みます。
心理学者が研究しているフロー現象とは、
人間が何かに熱中しているときに、
身体が脳の機能と知られているそれ以上の働きをする事を言います。


私たちは、自分たちが持っていると思っている以上の機能を兼ね備えている
私たちの脳はその構成分子に縛られたままかもしれないけれど
意識はフローに乗り、インスピレーションの源泉といわれるものの彼方へと流れていく、
そこがどこだろうとも。

私たちには秘められた力が確実にあります。
著者はそれを本の中で言及していきます。


そして多くの哲学者が追い求めていた
「リアリティの本質」をこう表現しました。

私たちは何かを観察するにはそれらの対象物に対して
客観的で有りようがない、と、著者は言うのです。

つまり、私たちが見ているものは、対象物にぶつかった光子の有様なわけで、
それを受け取る私たちが脳にうけた刺激によってそれを見ると言うことになります。
これが原子となると、観察すること自体が関与する事になってしまいます。
どんな実験でも、実験を見守る人間がいなければ、結果は出ないですよね。
なのに、実験者がいれば結果に対して必ず関わってしまうんです。


我々がここに存在するという事実だけで、世界は我々が存在しない場合とは
全く違ったものになる、と考えるべきだ。
我々は人間を神格化して崇めようというのではない。
どの学者も量子力学における計測の過程が、
物質の基礎レベルでは意識を持つ観察者の参加を「必要」としていることは認めている。
彼らは、我々の知る限りの事象は、
我々の存在の避けがたい結果であると考えているのである。

宇宙を意識するものがいなくて、宇宙に何の取り柄があろう?



「リアリティ」とは、私たち自身に「見合うもの」なのだと思わせられました。
とても、面白く生物としての自分、意識の自分、
この世界にとっての自分を考えさせられる本です。
機会があったら読んでみてくださいね。

2002/11/3

以前に運営していたHP「PARAISO~本の漂流記」から
転載しました。

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