Aloe*Wing 

全ては綾なすイリュージョン

好きなように描くんじゃ、普通と同じ。



好きなように描くんじゃ、
普通と同じじゃないの~。

私は魔法をおしえてるのに。


*好きなように描くと自在に描くはちがいます。

*~*~*~*~*~*~*~*~*~*


自分を表現するために?
あら、それじゃ
他の絵でそれをしたほうがいいと思う。

これでそれはできるもんじゃない。


対称をいくつも重ねて
変則が生み出されていく

次のジャンプでどこへ飛ぶかわからない

これは冒険の旅。


私は魔法のレシピを教えているのに。

手元の手近な材料で?

こんな匂いのこんな色で?

あら、
もう、
それ、
まったく

意味がないじゃないの。

だって全てあなたの頭の中にすでにあるものでしょ?

魔法の意味何にもないじゃん。



この魔法はその先に生まれる。

それは形から生まれる。

そらかな

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曼荼羅の描き方を教えているわけじゃない。
いつもそう思う。

あなたに描き上げられながら
曼荼羅はいろんなことを語りかけてくるはずだから。

私にとっても大切なのは、
宙奏を描いているその過程。

作品が放つ輝きとエネルギーは時空間をこえるのだけど。
それは私のの力ではなく、
もともとその曼荼羅が持っているものを外に出してあげたに過ぎない。

私が求めているのは
点を打っているときの自分、

曼荼羅と過ごす時間。

どんなにこんがらかった思考も
点々の振動でゆるゆるとほどけて

ポンと脳裏に飛び込んでくる言葉に
自分の答えが出る。

気持ちも時間も大繁盛で、
あれもこれもできてない
ああ、自分ってイケてない。

そんな時は点々するのはすごく遠回りに思えるかもしれないんだけど
実際はそれが私の一番の早道だとわかっているから
曼荼羅と話す時間を選択する。

作為を持たないからこそ
宙奏はあなたの知らない光を放つ

こうしようああしようと
そんな作為が一番邪魔をする。

だから直感が一番大切
そう伝えるのだけれど。

自由に描けるようになったのに
自分の直感を信じられないから
自分の作品を自分であれこれ評価し、
自分の作品の評価を人に求める

そこから離れなさいって、
曼荼羅はいつも言っているのだけどね。

その声が聞こえなくてはならないよ。

あなたはこの見えている世界だけに括られているわけではないことを
宙奏は教えているから。

一番好きなこと

あっという間に11月、

何度もこの編集ページを開いたけれど、閉じて。

「書くこと」をあきらめた。

理由は、

あれもこれも先にやらなくちゃいけない。
これに今時間を割けない。

という、つまらない理由だ。


でも、わたし、やっぱり書くことが好きなんだと思う。


17年前、中野裕弓さんに、

本当に好きなことというのは

・いくらやっても飽きないこと
・お金を払ってでもやりたいこと
・それをしていると時間を忘れること


そういわれた。


家に帰ってから、うんうん唸って探した。

どう考えてもその時、
その3つがすべて当てはまるのは

「何かの資料をまとめてレポートを(きれいにわかりやすく)書くこと」

しかなかった。

書きあがった時の私の満足感は、だれに見せるわけでもないのに

宇宙最高だった。



そして、今も

忙しい仕事を二つしてても、

変わらない。

と、いうか、

「書く」という主たることが

どちらの仕事も私に

出来上がりの宇宙最高の満足感をあたえるから。

もちろん、それは超自己満足。


(そもそも、人間は「自己満足」しか、結局はできない。
だって、絶対他人にはなれないからね。)


今は自分的にはプロジェクトと言えるほどの作業中、

どんどん、アイディアが転がり込んでくるから
どんどん、コンテンツが増えた。

ということだけど、
直感で湧いてくるアイディアに蓋はできないからねぇ


満足のいくものが書けたら。
くるくる踊りたいくらいに幸せ。

出来上がったものの20倍くらいの量から
推敲に推敲を経て

私の満足の上に資料やテキストは出来上がる。


タイムアウトがあるのはとてもいいこと。

だって、

いつまで頑張ったって「最後の最高のもの」ができることは絶対にないから。

その時に締め切りがなかったらどこであきらめがつくのか、

考えただけで恐ろしい(;^_^A


そんなわけで、

いつになったら片付くのかわからない部屋の中で

資料山積みのデスクを抱きかかえるように、

PCに向かっている。


この膨大な資料の中で精査して削り取られ、

紙の上の文章になるのはほんのわずかだ。


これほどわがままな自己満足があるだろうか。

宇宙最強だ。

そんなわけで

17年前に

「それしかない」と思った

本当に好きなことは。

今も変わらなくて、改めて驚いた。


小学校5年生の時

遠藤先生が

「よしのさん(旧姓)は文章が上手ね」と褒めたから

とてもうれしかった。

他に褒められることはあまりなかったから

単純な私は

「そうか!こんな風に書けばいいんだ」とわかって

ここまで来た。と思う。

のべつまくなしに褒められたら、

私は今これを書いていないかもしれない。

あ、いや、わからないぞ。

のべつまくなしに褒められたら、有頂天でもっと違うところも伸びたかもしれない(笑)


ああ、思う存分だらだら書いた💛

さて、資料の続き。

と思うそばから、

10月分の仕分け準備
タイヤの取り換え
運転免許更新
アロエ注文(あれとそれとこれも忘れず)
出雲の準備
横浜の準備
メルマガ
講座対応
メール返信
曼荼羅仕上げ
妹に届けるもの
片付け(国家プロジェクトなみ)
掃除
講座アナウンス
サロンに椅子が入るので家具移動としつらえ
そして大切な睡眠。

が、私の脳裏をいっぺんに襲う。

この中から「大好きなことだけ」をするにはどうしたらいいか?

あ、まずい。
またそんな資料を作りたがってる(笑)

これは「欲」だな、「欲」

でもな、やっぱ好きだからだな。
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我が家のハナモモは美味しい 2

昨年、「来年は見張っていよう。」
と書いたことをすっかり忘れていたハナモモ。

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昨年10月16日のブログ
「我が家のハナモモはおいしい」
http://mayoone.blog96.fc2.com/blog-entry-1137.html

今年もたわわに花をつけ
そのままたわわに実を付けました。

10年くらい前です。
隣家のお父さんが、
山でとってきたというその木は
鉢植えで高さが土から50㎝くらい。

「何とか桃」って言って
花も実もなるんだけれど
鉢植えじゃどうにもならないから
お姉さんもらってくれないかといって
我が家の庭に入りました。

お父さんも私も名前がわからないまま
ちんまりと庭に植えた木は
のんびりと大きくなり、
5年目くらいに花を付けたんです。

濃いピンクの花がちらほらとついて初めて
こんな花がなるんだ!と思ったものです。

そこからは年々と枝をのばすので
枝きりしながらだったのですが
毎年しっかりと花をつけるようになって

昨年はすごい量の花を付けました。

そして、今年もまたこれでもかと実を付けました。

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木が大きくなり
実のならせ方も力がついたのでしょうか?

今年の実はすごくおいしいのです。
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産毛のついた実は桃のように
赤いところはするっと剥けて
青いところは包丁で剥かなくちゃならない。

お皿に盛って食べてもみましたが

小さいので手で割って
マンゴーのように皮をそらせることで
甘くてジューシーなところだけ食べる方がおいしいです^^。

花の時期はハチがすごくて近寄れないくらいだったのですが
こんなに甘い実をならせる力があるのだから当然だわ。
と、思いました。

くれぐれも十分に熟しているものを食べてくださいね。

私は香りがするからと言って
食べてみて渋かったので
「渋いもの」と思い込んでいました。

秋から冬にかけて
こんな実をつけるなんて、
いったいこの子はどこの山から採られてきたんでしょうか?

隣のお父さんは
どうしてこの子を持って帰ろうと思ったのかしら。

そんなことを思いながら

皮をひっくり返して、真ん中だけ食べる贅沢です^^

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十九社(じゅうくしゃ)

日もすっかり短くなって、山に雪との便りが来ました。

私も11月にまた年齢を重ねますが、
その前に一つ大きなイベントがあります。

昨年、猛吹雪のために行くことができなかった
出雲大社へ参詣するのです。

そして、「そのためか!」と思う
大きなお別れが二つ訪れました。

考えてみれば、
聞こえてきていた
「身一つで来い」とのささやき。
あれはこういうことだったんだ。

立て続けに訪れたそれは、
わたしが何を求めていたのか教え
その成就と次のシフトを教えたのでした。

そもそも昨年出雲にたどり着かなかった時

今年じゃない?と考えた私は
翌年(つまり今年)が「9」の年であることに
気が付きました。

「9」は、すべてをいったんたたむ(終わる)年周りであって
物事が一定の成就を迎えることも意味します。

なので、「9」の年に来いとのことかもしれない。
そう考えました。
*同時に違う意味もあったようですが、

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言わずと知れた縁結びの神様が
身一つでと言われるにはわけがあると思っていましたが、

まったく「そうきたか!」という出来事。

そもそもすべては私が決めて選んでいるわけですから。

私の胸の感情が悲しくても
その奥深くが晴れやかなのは納得がいきます。

お互いに
もっと軽く、もっと高く。
そういうことなのでしょう。

出雲大社の本を読んでいて
東西の十九社(じゅうくしゃ)の意味を知りました。

どちらにも19の扉があって
そこから入って神様はお休みになるのですが

神様は八百万(やおろず)
扉の数が足りません。

これはその昔
19という数が無限大を示していたから

なぜかというと
19の「1」は全ての始まりの数字であって
「9」は最後の数字だから
最初と最後の数字を一緒に用いることで、
「無限大」と表現したのだというのです。

細長いこの建物に東西に分かれて
400万ずつ(笑)が、
だから、悠々と入るのですね^^

「9」の成就の年に呼ばれる理由と
「身一つ」の意味が分かって

どんな別れだといえ
わたしはずっと
その魂の成功を祈っていたわけですから

これでいいのだと

9年ぶりの9の年に感謝しかありません。

ネガティブアピール

笑えない
あそこが悪い、ここも悪い
すべてがこんな数値、
そんな時にさらに大病、
家族に大変なこと、
なっきっつらにハチ。

(こんなにがんばっているのよ)

家族にああされたこうされた
伴侶は特に私につらく当たる。
私が悪いのだから仕方がない
いつもじぶんはこうだ

(誰も私をわかってくれない)

ほとんどそんな時しかFBアップしない人

分かりますよ、
そういうときしかネタがないのでしょう

そればかり注視しているから
そういう時しか外に向けた言葉を持てなくて

仕方ないですよね。


さすがに私のお友達関係には少ないですが、

たまに見かけたと思ったらたいていそんな話で

あ~あ、言わなきゃいいのにと思うのは私だけではないはず。

ほとんどの人はそれがどんな効果を自らに課しているかわかっているから。

そう、潜在意識はあなたが慰めを求める場所に書き込むネタをどんどん増幅します。

それの繰り返し。


「じゃぁどうすれば?」

しりませんよ、自分で考えてください。

自分で探して考えて出した答えしか役には立たないから。


ひとつだけ、アドバイスは

苦しくても腹くくって、
「家族に尊重されない人間」であることや
「次から次と状況が悪くなる体のこと」を
アナウンスするのはやめましょう。

花の咲く姿。
風の匂い。
お茶一杯の幸せ。
子供の耳打ち。
美味しい味噌汁。
喉の奥がクスッとする情景

足元からいっぺんにそんな景色が咲くような

あなたの喜びをここで豊かに増幅させてください。

なぜ私はアロエベラに出会ったんだろう 10

アロエベラジュースを飲みだして、2週間ほどたったころ
Cちゃんからこんな電話がきました。

「酒井さんってすごいおじさんが
札幌で講演をするから絶対行って!」

正直嫌だったのですが、
大学への通り道にあるホテルだったことと
その午後が珍しく空いていたことから
腰をあげました。

きっとギラギラしたおばさんとおじさんが大勢。

そんなイメージだった私は会場で
全員「世話好き」な感じのおばさまたちに拍子抜けします。

そしてもっと意外だったのが、
ステージに現れたそのおじさんが
とても静かに「潜在意識の話」を始めたことです。

当時そういったスピ系の話は私たちも、こそこそとしているような情勢だったので

会場いっぱいの年齢の高いおばさまたちがそれを熱心に聞いていることに驚いたのです。

こんなところで、
こんな話を、
これだけ大勢の
こんなおばさまたちが?

そう思いました。

そう思いながら私は必死で思い出そうとしていることがありました。



それは、講演が始まる前に渡された赤い手帳と

前の席のおばさまたちの会話でした。

「あら~!○○さん素敵な赤ね~そのジャケット!」

「うふふ。私『赤』は一番苦手なんだけどね、今日は赤って思ったのよ~」

その言葉を聞いたとたん
私の全身が反応しました。


「!!」なんだったっけそれは、

赤、赤、赤、これは重要な事。

このセリフを私はどこかで聞いた

しかも私にとってとても大切なことだ。

なんだっけなんだっけなんだっけ?



私はその疑問を抱えながら講演を聞いていたのです。
それくらい思い出せないものでした、


「私、『赤』は一番苦手」

「私、『赤』は一番苦手」

「私、『赤』は一番苦手」

はっ!!!!!

あれだ~~~~~!!

30分くらい苦しんで私はようやくそれをひねり出しました。


私はなぜアロエベラに出会ったんだろう 6で書いた中野裕弓さんのセミナーで私はこんなセッションをやりました。

ネイティブアメリカンが使う「トーキングスティック」を
向かい合った二人で両端を握り

お互いに共通している深層意識まで下がっていって、
そこに見えたことを相手に伝える。

伝えられたその言葉は「紙に書いて忘れること」と、

「忘れるまで」がそのセッションの内容でした。

私は見ず知らずの女性と組み、
お互いに静かにその意識の底を見ようとしましたが、
うまくできたかはわかりません。

わたしはなにかその時に動物に関することが見えてそれを伝えたと思います。

その女性は私にこう言いました。

「はっきりしたものは見えないのですが、とてもきれいな、濃いのに透明な赤が見えるんです。」

「すごくきれいな赤です。ごめんなさい、それくらいしかわからなくて」


それで私はこう答えてしまっていました。

「赤ですか~私赤は一番苦手な色で~、でもわかりました。
この次それに出会ったら必ず手に取りますね」


手に取るって。。。
言っちゃった。
言っちゃった。
言っちゃった。

それにしても「脳」はすごいです。

ちゃんと忘れてるんですから。
そしてちゃんと呼び戻すことができる。

そんなわけで私は手の中の赤い
「宇宙への広告」と書かれた手帳を

丸ごとすっぽりと受け入れるしかありませんでした。


なぜ私はアロエベラに出会ったんだろう 9

人生初めてのアロエベラジュースの黄色いボトルは

私の誕生日に届きました。

望んでいたものではないものに
なぜだか祝福されているように感じ、
奇妙な感覚でした。

今考えるとそれは
「ズレ」
時間や、場、生きる意味合いが
ひょいと断層を見せたような瞬間

あの時それを迎えたんだなぁと
今なら言葉にすることができます。

さて、さすがにマユツバと思ったCちゃんのこの言葉

「大丈夫まよさん!アロエを飲むお金はアロエが運んでくるから!」

これが現実となります。


届いたアロエベラジュースを冷やしもせずそのまま味見して
私はこう思いました。

「太陽の味、日向の味がするわ~♡」

ここでどうしてもお伝えしたいことがあります。
私の飲んでいるアロエベラジュースは飲む人一人一人が違う味を感じます。
それはアロエベラジュースのせいではなくもともと皆さんが一人ひとり違う舌を持っているからです。

普段「このケーキおいしいね!」と笑いあっても本当はそれぞれに違う味を味わっています。
濃厚なクリームとか砂糖の元ではその差があまりつかないことがあるかもしれませんが

植物そのままのアロエベラは並みいる植物の中でもその違いが本当に(たぶん世界一)顕著です。

「この味なのに平気?」と言われることや、「酸っぱいけど、すっとしておいしい」と言われることもあって
最初私は混乱しましたが、年を経るごとに、そういうことなんだ!と気が付いていきました。

また、少し続けると舌も慣れてくるのか体が変わるのか最初の味とは全く変わって感じるようです。




てっきり「すごく苦いもの」と思っていたからでしょうか?
たったお猪口一杯程度のアロエなのに
量に反して、すぅぅっと「全身」に太陽の味が染みこんでいく感覚になり

「おいしい」と思いました。

とはいえ、Cちゃんのためにこれのアラさがしの気持ちが大きい私だったので。
この一本は自分だけでのもうと決めて冷蔵庫に入れました。

そして何も変化がなかったことを証明しようと思っていたんです。

考えたら1本(当時は2リットルボトル)でどうこうとかいう考えって無茶なんですよね。

「体の自然に任せて足りないところを補い」
「今ある身体とともに新しいものを作っていく」

それがアロエベラジュースの仕事ですから。

でも当時の私は
「何も効果がなかった」「私には不必要」とそう思いたかったんだと思います。


毎日冷蔵庫からボトルを出して、60cc(ひと月2リットルの計算なので)を量り
飲み始めて1週間くらいだったと思います。

ドアチャイムがピンポーンとなりました。

インターフォンを取ると知らない人です。

どんなご用件でしょうか?と尋ねると

「お宅の横の土地を駐車場に貸してもらえないでしょうか?」という話です。

今でもその方どこの家の方かわからないのですが、
家族が増えて自分の家に停めきれなくなったので、とのことでした。

それまでも10年くらい住んでいますがそんな話は初めてでしたし、
うちじゃなくても空き地がたくさんあるんです。
ただ、新車を買うので駐車場の証明が欲しいということもあって訪ねていらしたんですね。

そんなわけで、月の駐車場料金を他に合わせて7000円と決めました。

2リットルの定価には追い付きませんでしたが
すごい!アロエ!爆

結局このシンクロは長く私(の購入)を支えてくれました。


ボトルに巻き付くように同封されていた「登録書」。
登録しろってこと?

でもまぁ、営業所というのも知った住所だったこともあって
この会社を見に行くいい機会。そう思いました。

営業所は非常に事務的な事務所で、
わけのわからない私にとってあっさりとした印象でした。


それと同時くらいに起きたこと。

それが、酒井満さんの講演会での人生を左右するシンクロでした。

やっぱりね~ずっと、こうしたシンクロに導かれているんです。


なぜ私はアロエベラに出会ったんだろう 10に続く

なぜ私はアロエベラに出会ったんだろう 8

すごいですね。

「なぜ私はアロエベラに出会ったんだろう 7」を書いたのが
2010年12月。。。

かれこれ6年経っての続編です。

なぜ6年経ったかと言えばこの辺りからわたしは「自己流点描曼荼羅画」を描くようになったからです。

それが現在の「宙を奏でる点描曼荼羅画講座」
ネット講座で始めて、
全国にプラクティショナー(講師)を輩出し
社団の代表になりました。

しかしこれも
アロエベラのご縁からであって、

それがなければ私はどこかで点描画を見かけても
「うわ~無理っ!」って叫んでいたことは間違いありません。

7を描いていた2010年の私にこういいたいです。

ちょっとあなた!流れに身を任せていたら大変なことになったわよ!って(笑)

ということで話を戻したいと思います。

***********

その当時テレビショッピングを見てはあれこれほしいという父親が存命中でした。

そんな父はCMに影響されて「青汁」を買ってくれと言います。

どうせすぐに飽きるので放っておいたのですがあまりにしつこいので

大学生となりPCに首ったけの私はその日、

ネット検索をして父に飲みやすい青汁はないかと探していました。

*父は好き嫌いが異常に激しいのでせっかく買っても一回で「いらん」と言いかねないのです。


そんな時に「電話」が鳴りました。
懐かしいですね~「イエ電」です。

電話に出てみたらそれはCちゃんでした。

私はたぶんその時初めてCちゃんの声を聴いたのだと思います。

確かに電話番号は伝えたことがあったと思いますが
かかってくる用事があるなど思わなかったのでとても驚きました。

嬉しかったのと、あれ?!どうしたんだろう?というのが一気に押し寄せましたが

そのあとのCちゃんの言葉が私にとって一生を左右するような言葉になるとは
その時は思いもよりませんでした。

Cちゃんはこう言ったのです。

「まよさん、アロエベラって知ってる?」

そのあとのやり取りはぼんやり覚えている程度ですので書きませんが

とにかく当時の私には「天文学的に高い」と思ったのと

Cちゃんはきっとその会社に騙されている。と思ったことを覚えています。


同時に私の頭の中では

青汁を探しているこのタイミングで同じ植物のジュースのお勧めってなに?このタイミング!

というシンクロも、テロップのように流れていました。


それでどうしたかというと、

根がまじめな私はこう考えました。

知りもしないでそういった販売方法のものだからと言って毛嫌いをするのであればそこいらの人と同じ、
一本だけ飲んで、続けられない理由を作ろう←(結局そこいらの人)

Cちゃんが騙されているなら何とかして助けてあげたい(当時は「いい人」志向、今では余計なお世話)


それでもこの言葉だけはさすがに「Cちゃんそれはさすがにマユツバもいいとこ!」と思いました。

「大丈夫まよさん!アロエを飲むお金はアロエが運んでくるから!」


・・・ところが、それ本当になってしまったのです。


なぜ私はアロエベラに出会ったんだろう 9 へ続く

イフンケ(子守唄)

facebookでちらっと書こうと思ったら
思わず長くなってしまったのでこちらで。

41歳で大学生のころ、
北大を退官されたF先生の講義を取っていました。
半期で2冊の本を読み、
それについて話をするという講義だったのと、
F先生が緩いので
単位は必ずもらえると聞いたからです(;^_^A

しかし私以外にその講義を取ったのは
遊び盛りの男子2人で、
その子たちはすぐに出席しなくなりました。

当時70歳を超えたF先生と41歳の私は二人きりになったのですが、
話も合い、世界情勢から先生の小さなときの話と、私にとっては楽しい時間でした。

そんな中で忘れられない話があります。

先生のお父様は釧路方面でお医者様だったので、アイヌの人たちのことも気にして診てらしたという話です。

「何度かどうしようもない時に、いろいろな土地から彼らは父のところへやってきていた、
彼らはお金がないからわずかな食料を持ってきたんだな、
父はそれがとても貴重なものだとわかっているから、
お金はいいから持って帰るようにというんだが、
彼らはガンとして聞き入れないんだ。とても誇り高いんだよ。」

「治療をして薬を持たせ、薬がなくなったらまた来るように言うんだけれど、だからと言ってきたことがない。
自分たちの薬を使ってよくなったのか、それとも駄目だったのかもわからない。それを父は気にしていたんだ。」

「ある猛吹雪の夜、病人を乗せたそりを馬に引かせて診てもらいに来たアイヌの男性がいて
どうしてこんな猛吹雪の日に道もないところを来られるのか僕はいくら考えてもわからなかったよ。
灯りもないんだよ。彼らには何か特別なものが見えていたのだろうかと今でも思う。
特別な能力だよあれは。。」

F先生の脳裏にも私の脳裏にもそれぞれに、吹雪にかき消されていく馬とアイヌの人の頼もしい後ろ姿が浮かんでいました。

「先生、私横浜に住んで驚いたことがあります。
すごくアイヌの人が多いんです。
考えたら私が小学生の時中学生の時数人はアイヌの血を引く人がいたけど
大きくなるにつれてみなくなったと思っていました。
なので、ああ、そうか、北海道にいればすぐにわかるけれど関東ではわからないのかもしれないなぁって思いました。」

「やまだ君、そうかい、僕はそういうのは初めて聞いたよ。
つらい話だけれど、僕も、かろうじて君もアイヌの人たちがどんな風に扱われていたかを知っているから、あれだね、
少し楽になったんじゃないか?ってホッとするね」

「で、職場にもいてその人とちょっと仲良く話せたなと思ったときにふと、ご親族は北海道ではないですか?と聞いたら、
きょとん!としてものすごく自然にもともと横浜生まれ、母も父も、といったんですよね。
そんなはずはないと思いましたが、その明るいさまに、ひょっとしたら本当に知らないで過ごしているのでは?と思えました。
それはそれで、だとしたら残念なことではないか?と思ったんです。」

「そうかい、まぁ真実は分からない話だしそれはやまだ君が考えることではないな。
彼らの誇り高さがどこかで必ず理解されると僕は思うから
それまでは仕方がないことだと思うよ」

そんな風に先生はおっしゃったのでした。

先生は私が卒業した年に退官なされ、それから間もなく亡くなったと聞きましたが

私は今でも小さな教室のあの時間のことを懐かしく思い出します。

2001年 911が起きた年の秋でした。

そんなことをふと思い出したのはこの子守歌を知り


この方のお話をよませていただいたからでした。
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1805.pdf
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アロエベラと潜在意識

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